12月16日は、人間にとって根源的な問題をSF小説を通して問い続けてきた作家であり科学者、未来学者であったアーサー チャールズ クラーク(Sir Arthur Charles Clarke:1917-2008)の誕生日です。
クラーク氏はイギリスのサマセット州で生まれ育っていますが、人生の半分以上をスリランカで過ごしています。
1977年には『スリランカから世界を眺めて(原題 The View from Serendip)』というスリランカでの暮らしに触れたエッセイ集も発表しています。
1979年に発表された『楽園の泉 (原題 The Fountains of Paradise)』の文頭には「本作は架空の島国(本文の名称はタプロバニー)について書いているが、約90パーセントまではセイロン島と一致して いる」と書いている通り、スリランカが物語の舞台や思考のベースにあることがわかります。ちなみにスリランカにおける最初のシンハラ人王国であるタンバパンニ王国は、タップロボーン(タプロバーナ)と呼ばれていました。また、文中に出てくる霊山スリカンダはスリーパーダ(Sri Pada/Adams Peak)、岩の要塞ヤッカガラは、シギリヤロック(Sigiriya Rock)であるとされています。
1954年に初めてスリランカ (当時の国名は"セイロン")を 訪れ(オーストラリアのグレートバリアリーフに向かう途中、たまたまスリランカで数日足止めされたことがきっかけ)、島に魅了されたクラーク氏は1956年にスリランカ に移住しました。それから亡くなるまでの2008年までの52年間、クラーク氏はスリランカを拠点に暮らしました。
スキューバダイビングや水中探査のパイオニアでもあった彼は、1956年に写真家のマイクウィルソン(Mike Wilson)とともにトリンコマリー(Trincomalee)でダイビング中に花の徽章が刻まれた柱や象の頭をかたどった石、寺院の石組みや建築物、偶像がの浅い海底に広がっているのを発見したといいます(これがコネスヴァラム寺院の再建(1963年)にも繋がっています)。この時の様子について、1964年5月に刊行されたExpedition 6,no. 3(🔗Ceylon and the Underwater Archaeologist/P18-21)に寄稿しています。
スリランカに移住を決めたクラーク氏が、スリランカで初めに暮らしたのが、南部のウナワトゥナ(Unawatuna)だったといいます。
クラーク氏と前述のマイクウィルソン氏は、1961年にキリンダ沖合にあるGreat Basses Reef Lighthouseの周辺で、沈没船を発見しました。このことについては『The treasure of the Great Reef』の題名で、マイク氏撮影、クラーク氏ナレーションによる同名のドキュメンタリーが製作されたほか、クラーク氏は同名の本も執筆しました(1964年出版)。
この船には1702年と刻まれた数千の銀硬貨が含まれており、調査の結果最終的には18世紀初頭に沈没したムガル帝国(インド)の6代目君主アウラングゼーブの所有していた船であることがわかりました。
この沈没船の調査については、水中考古学者のピータースロックモートン(Peter Throckmorton)が先出の🔗Ceylon and the Underwater Archaeologist/P21-31に寄稿しています。
ちなみにこの沖合は岩礁となっており、多数の船が難破したエリアでもあり、現在は沈船ダイビングのメッカとなっています。
スリランカ最大のダイビングエリアであるヒッカドゥワにはクラーク氏の別荘(通称SCUBA VILLA)を所有し、1986年にはヘクターエカナヤケ(Hector Ekanayake)と共同でダイビングビジネス(Underwater Safaris※2004年のインド洋大津波の影響で閉業)を営んでいた場所の一つでもあります。
コロンボ7地区にはウナワトゥナの後に移り住んだ家があります。パートナーであったレスリー(前述のヘクター氏の兄弟)の名をとり、レスリーハウスと呼ばれています。表札には、クラーク氏とヘクター氏の名前が現在も掲げられています。クラーク氏の部屋は生前の時のまま残されているといいます。
手前の門に掲げられた表札は英語での記載。一行目は❝LESLIE'S HOUSE❞。二行目にはArther C Clarke。三行目はHector Ekanayake。
手前の門を通過した先にあるもう一つの門の表札はシンハラ語で表札が掲げられています。
一行目は❝ලෙස්ලි නිවස(レスリー ニワサ)❞※ニワサはシンハラ語で「家」の意味。二行目にはආතර් සි ක්ලාක්(そのまま読むとアータ シ クラーク)。三行目はහෙක්ටර් එකනායක(そのまま読むとヘクタ エカナーヤカ)。
上記写真はホテルの公式ページより転載
コロンボにある創業160年を誇り、世界の要人が宿泊した伝統ホテルゴールフェイスホテル(Galle Face Hotel)。
クラーク氏は1年間このホテルに滞在して、1997年に出版された「3001年終局への旅(原題 3001: The Final Odyssey)」の最終章を書き上げたといいます。
クラーク氏は2008年3月19日にコロンボの自宅にて、ポリオ後症候群に起因する心不全で逝去しました。享年90歳でした。1962年にクラーク氏はポリオと診断され、1988年にはポリオ後症候群と診断されてから亡くなるまでほとんど車椅子生活だったということです。
クラーク氏はボレッラ墓地の、パートナーでありクラーク氏死去の31年前に29歳の若さで他界していたレスリーエカナヤケ(Leslie Ekanayake)の隣に埋葬されています。
ちなみに、ダイビングの共同経営者であり長年の友人関係でもあり、レスリー氏の兄弟であったヘクター氏(Hector Ekanayake)は、2023年3月20日に逝去しています。
クラーク氏は1979年から2002年まではスリランカのモラトゥワ大学(University of Moratuwa)の学長を務めました。(1989年から2004年まではアメリカの国際宇宙大学の初代学長も兼任)。
クラーク氏のゆかりの場所を巡る旅も、テーマとして良いかもしれません。
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