サンフランシスコ平和条約調印記念日とJ.R.ジャヤワルダナ(ジャヤワルダナセンター)

本日9月8日は『サンフランシスコ平和条約調印記念日』です。

1951年9月8日に調印された「日本との平和条約」(サンフランシスコ平和条約)は、1952年の4月28日に発効ならびに「昭和27年条約第5号」として公布され、日本の主権が回復しました。

「サンフランシスコ平和条約」の調印に先立ち、9月4日から8日にかけて、サンフランシスコにおいて全52カ国の代表が参加して講和会議が開催されました。
「サンフランシスコ講和会議」といえば、故ジャヤワルダナ元大統領をおいては語れません。
なお、対日賠償請求国の一つとして参加したスリランカ(当時の国名はセイロン)。
日本(当時は大日本帝国)が第二次世界大戦時にスリランカ(セイロン)に対して行った攻撃については、『忘れてはならない記録 (第二次世界大戦~セイロン沖海戦とサンフランシスコ講和会議~)』に書きました。
ジャヤワルダナ元大統領は、1951年のサンフランシスコ講和会議にセイロン代表(当時蔵相)として出席し「日本の掲げた理想に、独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」と述べ、また「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む(hatred ceases not by hatred, but by love)」という仏陀の言葉を引用し、対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、日本を国際社会の一員として受け入れるよう訴える演説を行いました。
この演説は、当時日本に対し厳しい制裁処置を求めていた一部の戦勝国をも動かしたとも言われ、その後の日本の国際社会復帰への道につながるひとつの象徴的出来事とされています。

サンフランシスコ講和会議には、本来は当時の首相D.S.セナナーヤカ氏が招待されていました。
しかし、当時のセナナーヤカは体調面で会議に出席できる状態ではなかった為、彼はジャヤワルダナ氏を推薦し派遣しました。

セナナーヤカ首相はジャヤワルダナ氏に対して「賠償金は要求せず日本が自由を取り戻すことを主張すべきで、日本に恩赦を与えるよう世界の指導者たちに要請すること」を強調し、さらに「仏教徒として誰もが思いやりと優しさを持って、この苦しんでいる国を許すべきだ」と付け加えて送り出したといいます。
首相の言葉を受けて、ジャヤワルダナ氏は上述の言葉を交えたスピーチを行いました。

コロンボにはジャヤワルダナ大統領が幼少期から32歳になるまで過ごした家がジャヤワルダナ資料館・図書館( JR Jayewardene Centre JRJC)となっており、一般公開(開館時間-平日8:30~16:00まで)されています。
ジャヤワルダナ氏は、大統領として受け取った贈答品や記念品などを「国民の利益と奉仕の為に残す」という考えのもと、家も含めて全て国に譲渡しています。
このセンターには、ジャヤワルダナ氏が大統領時代に各国の国王や国家元首、その他多くの政治家や宗教高官より送られた記念品約600アイテムが展示されています。
また、16000冊以上の蔵書も図書館として公開されています。
なお、図書館ではジャヤワルダナ元大統領に関連する書籍の購入もできます。
ジャヤワルダナ氏は親日家として知られ「日本会館」と名付けられた離れには、日本の芸術と文化を紹介する記念品や写真が展示されています。
日本会館内ではサンフランシスコ講和会議のスピーチパネルや写真を見ることができます。
また、こちらでは希望すれば、大阪吹田のスリランカ総領事館が出したスピーチ全文の和訳をもらうことができます。
ジャヤワルダナ資料館・図書館( JR Jayewardene Centre JRJC)でもらえるスピーチ全文の和訳は本文最後に掲載しているので、お時間のある時に是非目を通してみてください。

センターの場所はコロンボの中心部で、観光地ともなっているコロンボ市庁舎(Town Hall)ヴィハーラマハーデーウィ公園(Viharamahadevi Park)が近くにあるほか、お土産店としても人気のパラダイスロード本店(Paradise Road)アーバンアイランド(Urban Island)も近くにあるので、観光やショッピングの合間にぜひ立ち寄ってみてください。

【スピーチ全文】





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