27年前の今日(11/24)、スリランカの近代建築の先駆者であるミネットデシルバ (Minnette de Silva: 1918-1998)が人知れず亡くなりました。バスタブで倒れ、発見されるまでに数日を要した という悲しい最期となりました。
↑建築場所を視察中のミネットデシルバ『88 Acres: The Watapuluwa Housing Scheme by Minnette De Silva』会場のパネルを撮影
スリランカを代表する建築家といえばジェフリー バワ (Geoffrey Bawa:1919-2003) が有名ですが、ミネットデシルバは1948年の独立直後からスリランカで建築活動を行ってきた「スリランカ初のモダニズム建築家」であり、「アジア人として初めて王立英国建築家協会 (RIBA:Royal Institute of British Architects) に入会した人物」でもあります。
ムンバイとロンドンで建築を学んだ彼女は、西洋の知識とインドやスリランカの伝統建築を組み合わせた独自のスタイルを開拓し、自然や景観、伝統を活かしながらも前衛的な「トロピカルモダニ ズム」と呼ばれるスタイルの建築を実証したと言われています。現在では当たり前のように使われているオープンシャワーも彼女の得意とするデザインだったといいます。
スリランカ建築のパイオニア的な役割を果たした彼女の名前はこれまで大きく知られていませんでした。
2019年に彼女の生涯を描いた小說『Plastic Emotions(Shiromi Pinto 著)』が出版されました。この小説は、母国スリランカでもアジアでもヨーロッパでもほとんど知られていない忘れられた存在の彼女に光を当てたものになりました。 この小説では、有名なルコルビュジエとミネットの交流や、独立後のスリランカで奮闘する彼女の姿など、世界中で政治的混乱が起こっていた時代に若く先駆的であった彼女の人生が描かれています。
著者のShiromi Pintoはインタビューで、彼女について次のように述べベています。
「男性が支配する分野で、女性建築家として働くことは簡単ではありませんでした。 性別を理由にした多くの批判をかわすために、彼女は厚い皮を育てなければならなかったのです。(中略) 彼女が男性だったら、もっと違った展開になっていたかもしれません。
彼女は文化や人種の壁に阻まれ、ジェフリーバワのような偉大な後継者の功績の陰に隠れてしまいました。さらに有色人種の女性である彼女は、建築家や建築評論家の大部分を占める白人男性からは、確かに見えにくい存在でした」
上述の小説然り、時を経て彼女の偉業はスポットライトを浴びるようになってきました。
2023年11/30~から2024年7/7までの半年以上にわたりCrescat Boulevardにて、彼女に焦点を当てた展覧会『88 Acres: The Watapuluwa Housing Scheme by Minnette De Silva』が開催されました。
この展覧会ではミネットが設計を手掛け1958年に完成した、88エーカーに約300区画のスリランカ(当時の国名はセイロン)初の公営住宅を始めとして、彼女が手掛けた建築物や当時の時代や政治的背景から、彼女の人物ならびに思想を知ることのできる構成となっていました。
彼女の死後数ヶ月後に出版された、彼女の著書『The life and work of Asian women architect』も展示されていました。

彼女の個人事務所を含め、かつて彼女が設計したものの多くは取り壊されたり改築されてしまったと言います。
↑ミネットデシルバが手掛けた主な建築物『88 Acres: The Watapuluwa Housing Scheme by Minnette De Silva』会場のにて撮影そんな中、コロンボにあるSenanayake Flats (1954-1957) は、ほぼオリジナルのまま残っており現在も居住者がいます。
3階建てのこの住宅は曲線が特徴的な建物となっています。建物は1階は個別の車庫スペースとなっており、その間の2か所から建物内へのアプローチが作られています。
建物全体は4つのブロックで構成され、中央部に配置された階段の両側に部屋が配置されています。

この建物の構成は、採光を取り入れながらも、水平ならびに垂直方向に空気の流れがつくられている上、壁にも通気孔をあけることで、熱帯都市という環境においても熱がこもらない設計となっています。
※上記までのSenanayake Flatsの写真は、2022年10/1に開催されたOpen House Colombo参加時に撮影したもの


コメント
コメントを投稿