引き継がれるあきらめない心 (『ゼッケン67』のものがたり)
東京オリンピック2020が開幕しました。
7/23の開会式では、スリランカは90番目に出場したスリランカ。
【マルコ ポーロはスリランカを「今まで見た島の中で最も美しい島だ」と称しました】とのエピソードと共に紹介されました。
<オリンピック・パラリンピック関連記事>‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
・東京オリンピック出場選手の紹介は『東京オリンピック・スリランカ代表選手』(7/3投稿)をご覧ください。
・東京パラリンピック出場選手の紹介は『東京パラリンピック スリランカ代表選手』(8/24投稿)をご覧ください。
・スリランカの選手団のコスチュームについては『スリランカ選手団 オリンピックコスチュームと、トレンディサロンブランド』(7/19投稿)をご覧ください。
・東京オリンピック[野球]の公式球については『メイド in スリランカ【東京オリンピック 男子野球🥎公式球】』(7/28投稿)をご覧ください。
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東京五輪とスリランカ。実は教科書にもなっている有名な話があります。
それは『ゼッケン67』。
1964年の東京五輪。
男子陸上1万メートルの決勝で、大観衆を沸かせたスリランカ(当時はセイロン)の選手がいました。ゼッケン67番をつけた選手の名前はカルナナンダ。当時28歳のスリランカの代表選手でした。
カルナナンダ選手は、その日体調悪く思うように走れず最下位となりました。
400メートルトラックを25周走る1万メートルの競技。その他の選手が全員ゴールした時点で、カルナナンダ選手はあと3周も残っていました。
大観衆の注目を浴びながらも棄権することなく走り続けるその姿に、最初はヤジを飛ばしたり好奇の眼差しを向けていた観衆も、やがて声援へと変わり、無事ゴールをしたときには、多くの歓声が上がったといいます。
その後このエピソードは『ゼッケン67』という題名で、小学校の国語の教科書や中学校の英語の教科書に取り上げられました。
上記は「かざぐるま通信No.34(光村図書)」より転載実はカルナナンダ選手の孫は、現在群馬県渋川市で介護福祉士として働いています。
2016年に日本語の勉強で日本にきた孫のオーシャディさんは、異国の地になじめず一度はスリランカに帰ろうとしたとのことですが、母親から祖父の話を聞き、最後まであきらめなかった祖父の姿に支えられ、一念発起し福祉専門学校に入学して介護福祉士の資格を取得、2020年から高齢者施設で働いているといいます。
1964年に多くの観衆の心を動かしたカルナナンダ選手のあきらめない心は、50年以上の時を超えて孫に引き継がれています。
【参照記事】
📝【オリンピズム】1964東京(6)1万メートル「ゼッケン67」 教科書になった男、カルナナンダ(2016/11/15 産経新聞オンライン)
📝 [Tokyo2020+]「ゼッケン67」受け継ぐ思い…64年五輪 最下位でも完走(2021/07/14 読売新聞オンライン)
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