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スリランカは多くの国際的映画のロケ地にもなっています。
スリランカ政府観光局では5つの映画の代表ロケ地の写真をアップしていますので、それぞれの映画とロケ地について一つづつご紹介します。
- 映画のロケ地スリランカ『Indiana Jones and the Temple of Doom/インディージョーンズ 魔球の伝説』(2021年11月26日投稿記事)
- 映画のロケ地スリランカ『The Bridge on The River Kwai/戦場にかける橋』と リバーアクティビティの聖地(2021年11月25日投稿記事)
🎥『Elephant Walk』(1954年公開)
🎥邦題「巨象の道」(日本公開も1954年)
🎥物語概要 |
1949年に出版された小説が原作。
セイロンにある“巨象の道”と呼ばれる大農園の当主ジョンと結婚したルースは、当主の留守を任されていた農園の技師ディックに惹かれ始める。
ジョンとディック、2人の男に翻弄され揺れ動く若妻の心の葛藤を描いた作品。
🎥ロケ地
▪ブリーフガーデン(ベールワラ)
▪コロンボ(ラトマラーナ)空港
▪ガルヴィハーラ、宮殿跡(ポロンナルワ)
など
🎥撮影メモ
スリランカ(当時はセイロン)での撮影は1953年2月から約4週間。
ベールワラ、ラトマラーナ空港(コロンボ空港)やポロンナルワ、茶園、実際の紅茶工場などで撮影が行われたとのこと。
スリランカが舞台の映画だけに、映画内にシンハラ語の歌やシンハラ語のメニュー、スリランカの伝統舞踏キャンディアンダンスなどが見られます。
当初キャスティングされていたビビアンリーは、スリランカロケ入りの数日後に精神的不調をきたし降板。代役としてエリザベステイラーがキャスティングされたとのとですが、エリザベステイラーの部分は全てアメリカのスタジオロケで行われたため、彼女に取って代わった後に再撮影されなかったいくつかのロングショットはビビアンリーが演じたものがそのまま使用されているそうです。
✈ラトマラーナ(コロンボ)空港
「コロンボ空港」と聞くと、多くの方はバンダラナイケ国際空港(BIA)を思いうかべるかもしれません。
「コロンボ空港」という名前は現在はバンダラナイケ国際空港(BIA)の通称となっていますが、もとはコロンボから約15km南下したラトマラーナという町に1935年に開港した『コロンボ国際空港(RML)』のことを指していました。こちら(RMA)は現在は「ラトマラーナ空港」という呼び名で呼ばれていますが、空港の建物は現在も「COLOMBO AIRPORT」と掲げられています。
このラトマラーナ空港(RMA)は、スリランカ国内初の国際空港で、1967年にバンダラナイケ国際空港が開港するまで国際便の離着陸はRMAで行われていました。
現在は、スリランカ空軍の飛行場として使われているほか、国内路線やチャーター機の離着陸でも使われています。また、空軍博物館も併設されています。
映画内のシーン(左)と現在のラトマラーナ空港(右)
🍃Brief Garden(ブリーフガーデン)
このブリーフガーデンの設計者で居住者だった人はBevis Bawa(ベヴィスバワ)。
ベヴィスは造園家ならびに風刺画家として知られていますが、元はイギリス総督の副官ならびに、両親より譲り受けた土地でゴム農園のオーナーの傍ら、家の周囲を整備しこのブリーフガーデンを作りました。
このベヴィスの庭は有名になり、庭園を見に多くの人が訪れる一方で、各国の大使館や公共の建物、民家などの造園を委託されるようにまでなりました。
🌿 ベヴィスバワとジェフリーバワ
スリランカを代表する建築家ジェフリー・バワには10歳上の兄がいました。
その兄こそがベヴィスバワです。
建築家バワの作品の原点を辿る時に、この兄の影響を抜きに語る事はできません。
海外を拠点に弁護士として生活していた弟のバワは、29歳の時にイタリアに永住しようと動いていましたが上手く事が進まず、全てを手放しスリランカに戻ります。
スリランカに家がなかったバワはしばらくこの兄の家(ブリーフガーデン)で一緒に住んでいました。
兄の勧めで、スリランカに腰を据える事を決めたバワは、ベントタにあるバンガロー付きのゴム農園の土地を紹介されます。 その土地が気に入ったバワは購入し「ルヌガンガ」と名前をつけて庭園の整備や家の改装に乗り出します。 構想やアイデアは溢れるものの、それを具体化する専門知識の欠如を自覚したバワが、建築の勉強を始め、建築家としての道を歩み始めたのは有名な話です。
画家で彫刻家のラキセナナヤケ、バティック画家のエナデシルバ、テキスタイルデザイナーのバーバラサンソーニ、画家のドナルドフレンドなど、バワの建築に欠かせないアーチスト達も、元は兄のベヴィスと交流があった人達です。
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