1月8,9,10日の3日間、スリランカのケラニヤにあるケラニヤ寺院(Kelaniya Raja MahaViharaya)でペラヘラが開催されました(正式名称:ケラニヤドゥルトゥマハペラヘラ/Kelaniya Duruthu Maha Perahera)。
このケラニヤ寺院はコロンボの北東約10kmに位置し、シンハラ人の祖先とされるウィジャヤ王子がスリランカに上陸したとされる紀元前543年より前に建立されたとされ、紀元2531年にブッダも訪れたとされる歴史ある寺院です。それだけでなく、仏教建築と芸術が大変素晴らしい寺院としても知られています。
「ペラヘラ」というと、毎年7~8月(エサラ月)に世界遺産の街キャンディ(Kandy)で10日間に渡って行われるキャンディペラヘラ(エサラペラヘラ)が有名ですが、ペラヘラは太鼓たたきや各種の踊り手と共に巡行し、雨乞いなど様々な祈願をこめて行われる祭祀で、スリランカ各都市の仏教寺院や神殿で行われているもので、ケラニヤ寺院のペラヘラは、キャンディのエサラペラヘラに次ぐ壮麗さを誇ります。
ケラニヤ寺院のペラヘラは三夜にわたって行われます。一夜目は寺院境内を三周する小規模なペラヘラ、二夜目はケラニヤ寺院内の神殿に祀られているヴイシュヌ神、カタラガマ神、ヴィビーシャナに関連するペラヘラも加わり境内並びに寺院の参道を一周するペラヘラで、第三夜が寺院周辺も練り歩<規模も大きく観客も多い「ランドーリ(駕籠)ペラヘラ」となります。
ケラニヤ寺院のドゥルトゥペラヘラは、1927年1月に初めて開催されました。

ケラニヤ寺院は、先述の通り紀元前に創建された寺院ですが、南インドからのドラヴィダ人の侵略により幾度か破壊されてはその度に再建が繰り返され、1510年にはポルトガル人によって破壊され、1767年に再建されるなど、多くの再建を経て現在に至っています。
現在の建物の大部分は、慈善家のウィジャワルダナ夫人(Helena Wijewardene)の後援の下、1927年に着工されて1946年に完成したものです。
1927年1月に夫人の息子(DonWalter Wijewardene)が、1927年のケラニヤの修復工事の着工と、ブッダが悟りを開いた日からちょうど9ヶ月後の最初のドゥルトゥ月(1月)の満月日にスリランカのケラニヤ寺院に訪れたことを記念して開催しました。以来、このペラヘラは恒例行事として毎年行われるようになり現在に至ります(第二次世界大戦中に一時中断されましが、1944年に再開)。
現在の建物の再建に尽力したウィジャワルダナ夫人。彼女は裕福な家庭のもとにクリスチャンとして生まれました。仏教徒であるフィリップ史(Don PhilipTudugalle Wijewardene)との結婚後は、彼女自身も仏教を信仰するようになったといいます。
1880年のとある日にケラニヤ寺院を参拝した夫人は、仏殿のぬかるんだ床に足をとられてしまいました。彼女は歴史ある寺院の荒廃を憂い、本殿を修復し参拝の場としてふさわしいものにすることを決意したといいます。修復の最初として、足をとられた本殿の床を岩板で舗装しました。本殿の正面玄関近くの岩板の一枚には彼女のイニシャルと舗装が行われた年「HDW/1888」と刻まれています。
1902年には、供花を手向ける祭壇を木製から大理石のものに取り替えました。このようにして寺院の修復は何年にもわたって続きました。1927年に彼女は礎石を据え、本殿の完全な修復に取り掛かりました。古い仏殿は拡張され、キャンディアン様式の八角形の屋根が追加されました。
柱と天井は古代彫刻の伝統的なスタイルで制作され、出入口はキャンディアン様式の彫刻が施されました。
壁画制作にあたって、ウィジャワルダナ夫人はニゴンボ出身で若いながらすでに寺院壁画の芸術家として名を馳せていたソリウスメンディス(Solius Mendis)を招へいしました。
初めに夫人は彼をインドのアジャンタとエローラ、スリランカ国内は、アヌラーダプラ、ポロンナルワ、シギリヤに視察に送り、彼に東洋美術のあらゆる知識を習得させてから壁画制作を任せました。
これまで寺院の壁画といえばジャータカ物語が描かれることが多い中、彼は20年以上にわたり、黄道12宮やスリランカの仏教史など、前衛的なモチーフのフレスコ画を色彩豊かに描きました。







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