スリランカでは、アヌラーダプラやポロンナルワ、ダンブッラの石窟寺院、そして仏歯寺のあるキャンディなどが世界遺産に登録されており、信仰の場であると同時に、多くの観光客が訪れる名所にもなっています。
スリランカは仏教国として知られていますが、仏教だけでなく、ヒンズー教、キリスト教、イスラム教など、多様な宗教が共存する国でもあります。
今回紹介する大聖堂は、スリランカに15ある大聖堂の中で最初に設立されたもので、200年以上の歴史を誇ります。その起源は1760年、福音を広めるためにセイロン(スリランカの旧国名)を訪れた聖職者が、小さな礼拝堂を建てたことに始まります。
1838年、この小さな教会はセイロン初の大聖堂へと昇格しました。
現在のゴシック様式の大聖堂は1852年に礎石が置かれ、建設は1873年に始まりました。1881年に第一段階が完成し、1887年に全体が完成しています。建物正面にはイオニア式の4本の円柱が並び、聖母マリア、聖ルチア、聖アンソニー、聖ペテロ、聖パウロ、アッシジの聖フランチェスコなど、7体の彫像が飾られています。
大聖堂内部には、細部まで精巧な彫刻や絵画が施され、側廊には1924年に設置されたキリスト教の聖人や殉教者の像が並んでいます。その荘厳な空間には圧倒されることでしょう。
1942年のセイロン沖海戦では日本軍の爆撃を受け、ドームに亀裂が入ったものの、長らく放置されていました。しかし1957年、約1年をかけて修復されたといわれています。
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建物正面にある7体の彫像のうちの1体である聖ルチアは、建物脇でも別に祀られています。聖ルチア(Sancta Lucia)は、視覚障害者の守護聖女として知られています。
聖ルチア(Sancta Lucia)は、視覚障害者の守護聖女として知られています。ただし、彼女の生涯については史料が限られており、現在伝えられている逸話の多くには後世の伝承も含まれています。この大聖堂では、聖ルチアについて次のように紹介されています。
裕福な貴族の家に生まれたルチアは、幼い頃に父を亡くしたことで人生のはかなさを知り、次第に霊的な事柄へ心を向けるようになったと伝えられています。そして若くして、教会に生涯を捧げることを誓いました。
しかしその後、異教徒との縁談が持ち上がります。求婚者は、ルチアがすでに神に仕える身であることを知ると彼女を訴え、ルチアは投獄されてしまいました。伝承によれば、辱めを受けそうになったうえ、火刑に処されそうになりますが、薪は燃えなかったとされています。
さらに後世の逸話では、彼女は目をえぐり出された末に剣で命を奪われたとも伝えられています。しかし、霊廟に運ばれた遺体の目は元通りになっていたとされ、このことから聖ルチアは「視力」や「光」に関わる守護聖女として広く信仰されるようになりました。
聖ルチアが描かれる際、眼球を載せた皿を手にしている姿が多いのは、こうした伝承に由来しています。なお、12月13日は「聖ルチア」の祝日(聖名祝日)とされています。
日本でもキリスト教会は多くありますが、日本で多く見られるキリスト教会にはプロテスタント教会が多く、一般的にはカトリック教会のように聖人やキリストの彫像を多数安置する例は比較的少ない傾向があります。
一方、スリランカにはカトリック教会も多く見られ、キリストや聖人、使徒たちの彫像が飾られている教会も少なくありません。そのため、外観や内部の雰囲気は、日本で一般的に見られる教会とは大きく異なる印象を受けます。
是非、スリランカ旅行の機会にカトリック教会にも足を向けてみてはいかがでしょうか。
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