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【世界遺産】ゴール旧市街・歴史的建造物巡り②|時計塔・オールドモスク・フラッグロック要塞など20スポット

世界遺産・ゴール旧市街(ゴールフォート)とは

世界遺産「ゴール旧市街とその要塞群」の魅力

スリランカ南部にある港町のゴールには、1988年に世界遺産に認定された要塞とその城壁内に形成された歴史地区が残っています(登録名『🔗ゴール旧市街とその要塞群(Old Town of Galle and its Fortifications)』)。

約52ヘクタールの要塞内に築かれた碁盤の目状の小さな町は、これまでたどってきた歴史を今も色濃く残す、異国情緒漂う町となっています。
別の記事では上記地図の1~16,38~60の建造物や観光名所をご紹介しています↓

ゴール旧市街の歴史的建造物マップ(17〜37)

この記事では、下記の17~37の建造物や観光名所をご紹介します。

17.モスク (Meeran Mosque)-1902年

ポルトガル統治時代には、ゴールフォート内でイスラム商人の活動は制限されていましたが、オランダ統治時代になるとムーア人(Sri Lankan Moors:スリランカのイスラム系民族)の居住や交易活動が認められるようになり、フォート内にもイスラム共同体が形成されました。

1770年に作成されたオランダ時代の地図には、この場所にモスクが存在していたことを示す記録があります。

しかし、1890年頃の記録によると、当時のモスクはスリランカ伝統の瓦屋根を持つ小規模な1階建ての建物でした。

現在見ることができる白い外観のMeeran Mosqueは、1902年に建設されたもので、ゴールフォートに残るイスラム文化を象徴する建築の一つとなっています。

18.オールドモスク (Jiffry Thaikkah/Old Mosque)

以前は外壁が緑色に塗られていたことから、地元では「グリーンモスク(Green Mosque)」とも呼ばれていました。

Thaikkah(タッキヤ)」とは、スリランカのイスラム文化における小規模な礼拝施設を意味し、Meeran Mosqueとは異なる歴史を持つイスラム共同体の信仰施設として利用されています。

19. 英国統治時代のホテル(British Sea View Hotel)

英国統治時代、ゴールフォート内で営業していたホテルの一つです。当時の記録や古写真から、ヨーロッパ人旅行者や商人が利用する人気の宿泊施設であったことが分かります。

古い写真では現在のような2階建ての建物が確認できますが、英国時代の測量図には、その手前に平屋建てのホテル建築が描かれており、時代によって増改築が行われたことがうかがえます。

2階部分にはコンクリート製のバルコニーが設けられ、装飾的な柵で囲まれています。また、建物正面には「1887」と刻まれており、この年に改築または大規模な修復が行われたことを示していると考えられています。

20. フラッグロック要塞/オランダ国旗岩 (The Flagrock Bastion/Dutch Flag Rock)

旧用途)初代灯台跡(Old Lighthouse)-1848年

フラッグロックは、ゴールフォート南端に位置する海上監視のための堡塁です。

オランダ統治時代には、この場所は船舶への合図や旗を掲げる場所として利用され、1733年頃の記録にもオランダ国旗が掲げられていたことが確認されています。

1796年にイギリスがゴールを占領すると、オランダ国旗に代わって英国旗が掲げられました。

1848年には、この場所にスリランカ初の灯台がイギリスによって建設されました。しかし、この初代灯台は1936年の火災によって焼失しました。

その後、1938年に現在のゴール灯台がフラッグロックから少し離れたウトラワッタ堡塁付近に建設され、現在もゴールフォートの象徴として残っています。
↑灯台の土台が見て取れます

21. 紅茶小規模農園開発庁(Tea Small Holdings Development Authority:TSHDA)

Tea Small Holdings Development Authority(TSHDA)は、1977年に設立されたスリランカ政府機関です。

小規模紅茶園(Small Tea Holdings)の発展を専門に担当する唯一の法定機関で、生産性や紅茶品質の向上、技術支援、マーケティング活動、小規模紅茶園所有者の生活向上などを目的としています。スリランカでは、多くの紅茶が大規模プランテーションだけでなく、小規模農家によっても生産されており、TSHDAはこうした小規模紅茶生産者を支える重要な役割を担っています。

現在建物の一部は、紅茶ショップなど紅茶関連の商業施設になっています。

22. 大砲台 (Cannon Mount)

ゴールフォートの城壁上に残る砲台跡です。

ここには、大砲を旋回させるために設置された円形のレールが残されており、当時の要塞防衛設備を今に伝えています。

旋回式の大砲は左右に向きを変えることができ、港へ接近する船舶や敵の侵入に対して広い範囲を防御する役割を担っていました。
↑大砲のイメージ図(Sunday Times「Fortifying Galle Fort-July 12, 2020」より)

23. トリトン堡塁 (The Triton Bastion)

ゴールフォート西側の14の堡塁の一つで、オランダ時代に整備された防衛施設で、オランダ時代に風車が設置されており、海水をくみ上げ、砦内の道路の散水に利用していたといいます。

24. ランパートホテル (Rampart Hotel)

旧用途)オランダ時代 カフィア病院(Dutch Kaffir Hospital)/英国時代 パビリオンホテル(British Pavilion Hotel)

この場所には、オランダ東インド会社(VOC)統治時代に建設されたカフィア病院がありました。

Kaffir(カフィア)」とは、当時オランダ植民地でアフリカ系住民を指すために使われた呼称で、ゴールにはVOCによって連れてこられたアフリカ出身の兵士や労働者が暮らしていました。この病院は、彼らのための医療施設として利用されていたとされています。

英国統治時代になると、この建物を利用・拡張する形でパビリオンホテル(Pavilion Hotel)が建設されました。

2階部分のバルコニーを囲むセメント製の装飾柵や階段などには、19世紀末の英国植民地時代の建築的特徴を見ることができます。

25. スダマーレ寺院 (Buddhist Temple Sri Sudharmalaya Maha Viharaya)

ゴールフォートは、ポルトガル、オランダ、イギリスによる支配を経て、多民族・多宗教の人々が暮らしてきた歴史を持つ地域ですが、現在フォート内にはイスラム教徒の住民が多く暮らしています。その中で、フォート内にある唯一の仏教寺院です。
Sri Sudharmalaya Maha Viharayaは、1889年に建立された寺院で、かつてキリスト教関連施設があった場所に建てられたとされています。

寺院の上部には小さな鐘楼が残されており、植民地時代の建築の影響を感じることができます。

26. ロイド信号所基地/ネプチューン要塞 (Lloyd Signal Station Base/ Neptune Bastion)

ネプチューン堡塁(Neptune Bastion)は、ゴールフォート南西部に位置する14の堡塁の一つです。

オランダ統治時代の17世紀以降、海からの攻撃に備えるため砲台を備えた防衛施設として整備されました。現在も4基の大砲台座が残っており、当時の軍事的役割を伝えています。

また、この場所には港へ入る船舶に湾内の危険な岩礁を知らせるための信号施設が設けられていました。船が接近した際には、銃声などによって警告や合図を送っていたとされています。
イギリス統治時代には、円形の信号所が建設され、船舶との通信や航行案内の役割を担いました。

現在も岩盤には旗竿を固定するために開けられた柱穴が残されており、ゴールがインド洋交易を支える港湾都市であった歴史を物語っています。

27.陸軍施設 (Headquaters Gemunu Batalion)

旧用途)オランダ時代 奴隷・労働者居住区(Dutch Slaves' Living Quarters)/英国時代 判事・港湾官舎(British Harbor Master's & Magistrate's Quarters)

この建物は、オランダ東インド会社(VOC)の統治時代には、VOCによって連れてこられた労働者や使用人(奴隷を含む)の居住施設として利用されていました。

ゴールはインド洋交易の重要拠点であり、VOCはアジア各地やアフリカから人々を移住させ、港湾施設や軍事施設の維持に従事させていました。

イギリス統治時代になると、判事宿舎や港湾官舎として利用され、植民地行政を支える施設へと役割を変えました。
現在はスリランカ陸軍の司令部施設として使用されています。

28.  ゴールヘリテージ財団(Galle Heritage Foundation)

旧)オランダ統治時代 火薬製造・加工施設(Dutch Gun Powder Mill)

オランダ東インド会社(VOC)の統治時代には、ゴールフォートの防衛施設を支える火薬製造・加工関連の施設として利用されていました。

29.  火薬庫 (Gun Powder Magazine)

スター要塞(Star Bastion)の下に位置するこの火薬庫は、ゴールフォート内に残る火薬保管施設の中でも最大規模のものです。

ゴールではポルトガル時代(16世紀)に最初の要塞が築かれ、その後オランダ東インド会社(VOC)の統治時代に大規模な防衛施設へと拡張されました。この火薬庫も、その要塞防衛システムの一部として整備され、大砲用の火薬や弾薬が保管されていました。

英国統治時代には軍事施設として引き続き利用され、20世紀前半にはダイナマイトなどの爆発物保管にも使用されました。
↑壁に設けられた小さな換気孔は、内部の湿気や熱を逃がし、火薬を安全に保管するための工夫です。

30.  気象庁 (Meteorological Office)

ゴールフォート内にある気象観測施設で、英国統治時代に設置されました。

ゴールはインド洋航路の重要な港湾都市であったため、船舶の航行や港湾管理に必要な気象観測が行われており、英国時代には、気圧・風向・降雨量などの観測が行われ、海運や行政を支える役割を果たしました。

現在も気象関連施設として利用されています。

↑観測機の後方に見えるのは、オランダ領時代に火薬製造所だったところ

31.南部地方エンジニアリング事務所 (Southern Provincial Engineering Office)

旧) オランダ統治時代 砲兵連隊施設(Dutch Artillery Regiment Building)

オランダ東インド会社(VOC)の統治時代には、ゴールフォートを防衛する砲兵連隊の関連施設として使用されていました。

ゴールフォートはインド洋交易の重要拠点であると同時に軍事要塞でもあり、砲兵隊は港や城壁を守る重要な役割を担っていました。

↑入り口側。右後方に見えるのは時計塔
↑城塞内からみた建物
↑傾斜のため、ムーン要塞側から見ると屋根と歩道が同じ高さ

32. 時計塔 (Galle Clock Tower)-1883年

ゴールフォートのシンボルとして知られる時計塔は、1883年に完成した高さ25.3メートルの建造物です。

この時計塔は、ロンドン大学で医学博士号を取得した最初のセイロン人であり、英国総督付き医師やゴール市議会議員を務めたPeter Daniel Anthonisz医師(1822–1903)への感謝と敬意を表して建設されました。

建設費はゴール市民から集められた寄付金によってまかなわれ、地域社会からの敬意を象徴する記念碑となっています。

塔に設置された時計は、ロンドンのMorrisons社製のものです。

現在時計塔が建つ場所には、かつてオランダ統治時代に建てられた鐘楼(Belfry)がありましたが、時計塔建設に伴い1879年に撤去され、1883年に現在の時計塔が完成しました。

33.道路開発局 (Road Development Authority)

旧用途)英国統治時代 警察官舎(British Police Inspector's Quarters)

英国統治時代には、警察監察官(Police Inspector)の官舎として使用されていました。

ゴールフォート内には、植民地行政を支える警察、裁判所、郵便、電信、港湾管理などの施設が整備され、この建物も英国時代の行政機能の一部を担っていました。

↑城塞への入り口脇に建てられた建物。建物は城塞内外にまたがっています。
↑城塞外側にある入り口
↑城塞内側からみた建物

34. テニスコート (Tennis Court)

英国統治時代に整備されたテニスコートです。。

19世紀以降、イギリス人によって植民地各地にクリケットやテニスなどの英国式スポーツが広められ、ゴールフォートでも軍関係者や行政官、居住者の交流の場として利用されたといいます。

35.メインゲート/イギリス門 (British Entrance )-1873年

ゴールフォートへの主要な出入口の一つであるメインゲートは、イギリス統治時代の1873年に建設されました。

オランダ時代のゴールフォートは軍事要塞として防衛を重視した構造でしたが、イギリス統治時代になると要塞内部は行政施設や住宅、商業施設が広がる都市へと変化しました。

それに伴い、フォート内外の人や物の移動を容易にするため、新たな入口としてこの門が設けられました。

36. ピープルズ銀行 (People's Bank )

旧) オランダ統治時代 住居(Dutch Period Residence)

37. セイロン銀行 (Bank of Ceylon)

旧) イギリス領時代:百貨店 (Ephraums Department Stores-British Period)

英国統治時代には、Ephraums Department Storesという商業施設として利用されていました。

かつてゴールはインド洋航路の重要な港町として栄え、外国人商人や旅行者が行き交う国際都市で、この百貨店は、当時のゴールにおける近代的な商業活動を象徴する施設の一つでした。

現在、スリランカの国営銀行であるBank of Ceylon(セイロン銀行)のゴールフォート支店として利用されています。

ゴール旧市街を効率よく観光するポイント

地図を持って歴史的建造物を巡ろう

地図の看板を白黒に加工しましたので、是非下記写真をプリントアウトして、建物巡りをしてみてください。

まとめ

ゴール旧市街には、ポルトガル・オランダ・イギリス統治時代の歴史を今に伝える建造物が数多く残されています。本記事で紹介した17〜37のスポットでは、モスクや寺院、要塞、火薬庫、時計塔など、ゴールフォートの歴史と暮らしを物語る建物を巡ることができます。

それぞれの建物の役割や時代背景を知りながら歩くことで、単なる街歩きとは異なる世界遺産の魅力を発見できるはずです。前編(1〜16)、後編(38〜60)とあわせて巡れば、ゴール旧市街をより深く楽しめます。


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