【スリランカ】エナデシルバ生誕100周年展覧会 (前編)

エナデシルバ(Ena de Silva:1922-2015年)はスリランカを代表するバティックアーチストです。英語の発音ではイナ

1960年代以降、徐々に廃れつつあったバティック(ろうけつ染め)に彼女は新たな命を吹き込み芸術作品にまで高め、スリランカのバティック産業を再生させたとも言われています。
バティック以外にもエナは刺繍木彫り真鍮鋳物などスリランカの工芸品や伝統技術を復活させることにも尽力しました。
生涯にわたりエナはバティック刺繍を探求し、スリランカのテキスタイルを新しい芸術として確立させました。

エナは2015年に93歳でこの世を去りましたが、2022年はエナ生誕から100周年となるのを記念して、10月22日から各所で展覧会が開催されています。

【エナとバティック】
バティックは当初、幼い息子のアニル(Anil Gamini Jayauriya)の芸術的才能を伸ばすために始めました。
やがて、バティックは彼女のライフワークの一つとなり、成長した息子アニルや、友人の建築家で芸術家のラキセナナヤケとのコラボレーションを通じてバティックを芸術作品に押し上げました。

彼女の作品の多くは、スリランカを含む南アジアや東南アジアで見られる伝統的なオブジェや書籍などからインスピレーションを得ています。また、1960年代の西洋デザイナーの作品などもエナの資料となっています。
幾何学的模様は、[Tantra Art and Tantra Asana(1971年)/Ajit Mookerjee著]などの出版物や、寺院絵画の縁取りとしてよく用いられる伝統的装飾文様を参考にしています。
【参考】Tantra Asanaの表紙[amazon/books]より転載

【エナとジェフリーバワ】
60年代初頭、エナはジェフリーバワ(Geoffrey Bawa)に自宅の建築を依頼します。
彼女は、西洋の影響が多く入った当時の一般的な住宅では満足できず、スリランカの伝統的な住居に沿ったものを探していました。バワ設計による家は中央に大きな中庭を設け、屋内と屋外がシームレスに融合した家となりました。自宅の建設をきっかけに、バワとエナは仕事仲間として多くの仕事をしていきます。

📝エナデシルバ邸については、スタッフブログに書いていますので、興味のある方はご覧ください70km動いた家 (エナハウス / No.5)(←タイトルをクリックすると該当記事にリンクします)

【エナとアルヴィハーラヘリテージセンター
夫オスモンドの死後、彼女は英連邦事務局のコンサルタントとして英領バージン諸島に渡り、帰国後の1981年に先祖代々の故郷であるマータレーのアルヴィハーラに工房を移し、工芸品の共同組合『マータレーヘリテージセンター』を立ち上げました。

この工房は数百人の雇用を創出し、農村経済を支援するとともに、女性を含めた経済的自立の強化に貢献しました。
さらには工芸の発展や、国内の新進の若い職人たちに足がかりを与えたと言われています。

工房はエナの死後、エナの故郷でありエナの屋号に敬意を表して『アルヴィハーラヘリテージセンター』と名前を変えて、引き続きエナのデザイン作品などが制作されています。今回の展覧会の主催でもあります。
展覧会などエナ生誕100周年関連の催し物は、4か所で開催されます。
本記事(前編)では、Barefoot Loft Galleryで開催中(11/3まで6日まで会期延長)の『Ena de Silva and the Making of a Sri Lankan Modern』Rithihi で開催中(11/3まで)の『Ena’s Sarees』の展示内容について紹介しています。

後編では、建築家のC.アンジャレンドランの自邸と、バワが改築を手掛けたデサラムハウス開催されたプログラムを紹介しています⇒『エナデシルバ生誕100周年展覧会 (後編)
引用元の記載の無い写真は、全て会場内で撮影したものですので不明瞭な点はご了承ください。

❶ 展覧会-Ⅰ
展覧会名:『Ena de Silva and the Making of a Sri Lankan Modern』
会期:2022年10月22日~2022年11月3日 6日まで会期延長
会場:Barefoot Loft Gallery (8th lane, Colombo 03)
開場時間:毎日10:00~18:00
入場料:無料
展示概要:無料

【エナとバティック旗/バナー】
1970年に日本の大阪で開催された[日本万国博覧会(大阪万博)]では、「セイロン館」(スリランカの旧国名)の設計をE.R.& B.建築事務所が請け負い、バワアヌララトナヴィブシャナ(Anura )が共同設計しました。
セイロン館の中には、エナと共同制作者による、伝統的な王国旗や州旗、寺院旗などのモチーフを現代的に解釈して作ったバティック旗が展示されていました。
万博のために製作・展示された旗は、以降ホテルなどのから大型サイズで注文されるきっかけとなりました。
1982年には、新国会議事堂(バワ設計)のためにバワより12枚のバティック州旗の制作の依頼を受けました(この州旗は特別な行事がある際に国会議事堂の前庭に飾られるとのこと)。
[Sinhalese banners and standards(初版1916年)/Edward Walter Perera著]はスリランカ古来の旗やバナーのうち37つの画像を納めた図版で、エナが伝統的な旗やバナーを理解するのに役立てていたと言います(展示されている図版は1980年再版のもの)。
開かれているページは、今展覧会のロゴにもなっている[Wellasa Disawa,Kandy]の旗。(Disavaはシンハラ語で方向」を意味します)

[Kandyan Period Flag](19世紀)
キャンディ王朝時代の旗。ライオンが描かれた旗は、古くは王旗として古代の絵画にもみられ、現在のスリランカの国旗のモチーフともなっており、最も長く継続して使用されているシンボルです。

❸ [Walapane Dissavage Mayura Kodiya](1989年/エナデシルバ)
この旗はエナが製作し、マータレーの自宅のダイニングエリアに飾られていたもの。
幾何学的な縁取りは、キャンディ王国時代の旗から着想を得ており、中央はクンダサーレ(Kundasale)寺院から発見された[Mayura Kodiya]を基にしています。
(Dissavageはシンハラ語で地区の」の意味。Mayuraはサンスクリット語で孔雀の意味で、Kodiyaはシンハラ語での意味)

❹ [Walapane Dissavage Mayura Kodiyaのトレース](1985年頃/エナデシルバと共同制作者)

❺ [Uva Dissave Maha Hansa Kodiya](1989年頃/エナデシルバ)
この旗はエナが❸と同じくエナが製作し、マータレーの自宅のダイニングエリアに飾られていたもの。
この旗の図柄はウバ州キャンディのマルワッテ(Malwatte)寺院から発見された[Uva Dissave Maha Hansa Kodiya]を基にしています。
(Dissave(Disava)はシンハラ語で方向」を意味します。Hansaはシンハラ語でガチョウ/白鳥の意味)

[Lagna Kodiya](1974年/エナデシルバ)
このバナーは1974年から2005年までランカオベロイホテル(現シナモングランドホテル)のロビーに飾られてた3つのバナーのうち最大のもので、幅約5メートル長さ約16メートルにもなります。息子のアニルがスケッチした絵を基に制作したもので、黄道12星座が描かれています。
【参考】上記画像はオベロイホテルのロビー[Giant batiks that turned heads, skywards]より転載

❶ [Thun Korale Berunda Kodiya](2016年/エナデシルバ)
このバナーは1974年から2005年までランカオベロイホテル(現シナモングランドホテル)のロビーに飾られてたバナーの縮小版のトレースから製作されたもので、現在アナンタラカルタラホテルの宴会場入り口に掲げられているセットの一つです。
双頭の鳥(Gandaberunda)のモチーフは南インドに起源をもつとされています。インド南西部のカルナータカ州に多く、1505年頃に流通した硬貨や、現在のカルナータカ州の紋章にも描かれています。
スリランカでも広く使われており、14世紀に建てられたとするエンベッカ寺院の柱の1つにも彫られています(下記参照)。
【参考】上記画像は[Amazing Lanka-Embekke Devalaya]より転載

❷ [Wall Hanging for Triton Hotel](1981年/エナデシルバ)
1981年にバワが手がけたトリトンホテル(現ヘリタンスアフンガッラ)のパブリックスペース用に製作されたものの一つ。

❸ [Valapane Mayura Kodiya](1965年/エナデシルバ)
中央はクンダサーレ(Kundasale)寺院から発見された[Mayura Kodiya]を基に製作されたもの。

❹ [Ceiling penels of the Bentota Beach Hotel](1995年/エナデシルバ)
ベントタビーチホテル(現シナモンベントタビーチ)のために制作されたもの。エナの息子アニルが描いた絵がベースになっています。最初の制作は1967年、今展覧会で展示されているのは1995年頃に製作されたもの。ちなみに現在シナモンベントタビーチにはめられているパネルは、2020年に制作されたもの。
【参考】シナモンベントタビーチのレセプション。上記画像は[Cinnamon Bentota Beach]より転載

[Mahanuwara Kataragama Devala Kodiya](1978年頃/アニル.G.ジャヤスーリヤ&エナデシルバ)
[Mahanuwara Kataragama Devala Kodiyaのドローイング](1978年頃/アニル.G.ジャヤスーリヤ)
このバナーは、キャンディにあるカタラガマデーワーレより発見されたものを忠実に再現したものです。赤と黒で描かれたこの旗はほとんど手描きで、オリジナルのものよりも明るく仕上がっています。
(デーワーレ(Devalaya)は土着の神やヒンズー由来の神などを祀った寺院/祠)

❶ [Tree of Life (Mal gaha)](1970年代/エナデシルバ)
エナのバティックにはこの『生命の樹(Mal Gaha)』をモチーフにした作品が多くあります。このオリジナルのデザインはエナの娘のアヌラ(Anula Kusun Jayasuriya)によるものです。

❷ [Wall hanging](1970年頃/エナデシルバ)

❸ [Lighthouse Ceiling Panel](1997年頃/エナデシルバ)
ゴールにあるジェットウィングライハウス(Jetwing Lighthouse)ホテルのバー(COATS OF ARMS BAR)の天井のためのパネル作品。
バワは1995年にエナに当ホテルのバーの天井を飾る作品を依頼しました。エナは、17世紀のオランダ植民地時代にオランダ政府が贈ったスリランカ(当時はセイロン)の紋章などの当時の国旗や紋章をテーマに作品を作りました。
【参考】ジェットウィングライトハウスのCOATS OF ARMS BAR。上記画像は[Jetwing Lighthouse-COATS OF ARMS BAR]より転載
【参考】上記画像はWikimedia Commonsの[Coat of arms Ceylon dutch colony]より転載
【参考】制作風景[SERENDIB(Vol.16 No.1 Jan-Feb 1997)15ページ]を転写(右端がエナ)

❶ [Kotiya (Leopard Hanging)](1975年頃/アニル.G.ジャヤスーリヤ)
エナの息子アニルによる作品。アニルは芸術家としてバティックや彫刻などの作品を制作していました。動物学を専攻していた自然愛好家でもあった彼の作品には動物をモチーフにしたものが多くみられます。 

❷ [Hornblls Wall Hanging](1978年頃/ラキセナナヤケ&エナデシルバ)
これはラキセナナヤケ(Laki Senanayake)の原画からつくられたとされています。

❶ [Val Cart](1960年頃/アニル.G.ジャヤスーリヤ)
エナの息子アニルによる作品。彼の絵画や素描はベントタビーチホテル(現Cinnamon Bentota Beach)のレセプションの天井パネルやオベロイホテル(現Cinnamon Grand)の基にもなりました。

❷ [Elephant](1963年頃/ラキセナナヤケ)
ラキセナナヤケ(Laki Senanayake)エナとの仕事を始めた同時期に描かれた絵。ベアフット(Barefoot)の創業者バーバラサンソーニ(Babara Sansoni)の息子のシモンサンソーニ(Simon Sansoni)への誕生日カードとして贈られました。

❶ [Note cards](1960年代/アニル.G.ジャヤスーリヤ)
エナの息子アニルが、1967年にベントタビーチホテル(現Cinnamon Bentota Beach)のレセプションの天井パネルのために描いた図面を基にデザインされたカードと封筒

❷ [Note cards](1960年代/アヌラ.K.ジャヤスーリヤ)
エナの娘アヌラがデザインした『生命の樹(Mal Gaha)』のカード。エナのバティックにはこの『生命の樹(Mal Gaha)』をモチーフにした作品が多くあります。

❸ [Note cards](1970年代/ヘーマ.ダルマセーナ)
ヘーマ(Hema Dharmasena)はエナの組織の中心人物で、ランカオベロイホテル(現シナモングランドホテル)の巨大タペストリーや新国会議事堂のための州旗などの制作の管理やデザインを担当しました

↑バティックの金型とそれにより作られたバティック布(1960年代)↑
1ヤード(約0.9メートル)単位で作られていた上記の文様布地は、真鍮の金型を用いたブロックスワックスの手法を用いることにより、製作時間を短縮することが可能となりました。

【エナと刺繍】
エナの母ルシールがマータレーに設立した刺繍工房は、地元の女性達にわずかな収入を補うことができる工芸技術を教えようという取り組みから始まりました。
エナ自身も、Ethel Coomaraswamyのキャンディアン刺繍に関するパンフレットに大いに触発されたと語っています。
Ethel Coomaraswamyは1872年生まれのイギリス人で、夫の仕事でスリランカに渡ったのを機にスリランカの各村の芸術品や工芸品を記録と写真に残し、1907年に本国に帰国後スリランカの工芸品に関する著書を発表しました。
エナはアップリケと刺繍のユニークな組み合わせにより、エナは古来のキャンディの伝統的なステッチやパターンを生かしつつ、18~19世紀のスリランカの寺院絵画に見られる蓮のイメージやその他のモチーフから得たパターンやデザインを作り上げ、ファッションのデザインにも取り入れました。
↑アルヴィハーラヘリテージセンターのキャンディアン刺繡の基本ステッチ↑

2010年頃作られたもので、エナのこのデザインは18~19世紀にかけてキャンディ地方の寺院の絵画装飾として描かれていた蓮の羅列から着想が得られています。

手刺繍とアップリケが施された壁掛けは、2010年頃に製作されたもので、サリーやドレスなどの装飾に用いられた素材と伝統的なキャンディアン刺繍が組みあわせられています。
手前のハンドバックは、エナの母が村の女性の雇用のための刺繍工房の研修で作られたもの(作者不明/1950年代)。

↑クッションコレクション(製作年1960年代から2020年)↑
上記のクッションは、エナ自身ならびにバワ財団のために製作されたコレクションの一部です。様々なアップリケデザインならびに伝統的なキャンディアン刺繍の基本ステッチの技法が使われています。

1960年代に娘のアヌラ(Anula Kusum Jayasuriya)が描いた絵(上記写真右)を、エナはトレースしてアップリケモチーフにして1989年の娘の結婚式の際に着用しました
そのパッチワークの一つ一つは、エナの工房の女性達がそれぞれの自宅でで制作したものをキャンディアン刺繍にて繋ぎ合わせてサリーに仕立てています。
サリーの振りの部分は、取り外して壁掛けにできるようにデザインされています。
なお、サリーの横と後方に展示されているワックスフラワーは、今展覧会のためにインディカプラシャンティ(Indika Prashanthi)が制作したものです。 
↑上記写真はAluwihare Heritage Centreの公式Instagramより転載↑
メガネケースや小銭入れの後方にある立方体の刺繍の小箱は、スパイスボックス(香辛料入れ)で、1989年のエナの娘の結婚式の出席者へのギフトとしてつくられました。
❶ [Spectacle case](エナデシルバ )
❷ [Coin Purse](1980年代/エナデシルバ )
❸ [Coin Purse](1980年代/エナデシルバ 他)
この小銭入れは、スリランカの伝統的なヤシの葉の小銭入れを刺繍入りの布で覆ったもの
❹ [Coin Purse](エナデシルバ )
❺ [Embroidered Handbag](1975年頃/エナデシルバ)
このハンドバックは1950年代に社交の場でエナが着用していたアンサンブルに合わせて作られたもののひとつで、伝統的なBetel Bag(嚙みタバコとして用いるキンマ(Betel)の葉と道具を持ち運ぶための装飾が施された布製袋※下記写真参照)を参考に作られました。
上記のバッグは19世紀につくられたBetel Bag。エナはBetel Bagを参考に、服装に合わせてバッグを制作しました。
手前の写真は、1947年頃に撮影されたエナと夫のオスモンド、息子のアニルとの家族写真。
エナはBetel Bagを参考に、サリーに合わせたバッグを持っています。

❶ [Purse](1980年代)
❷ [Purse](1980年代)
❸ [Purse](1980年代/エナデシルバ )
この白い綿布にアップリケを施した財布は、仏教寺院で供物のカバーに使われている蕾のように縫う技法を応用したものです。

【エナと衣服】
エナが芸術的実践の延長として構想した衣服は、ファッションと同様に外交の役割も果たしていました。
エナの父は、独立後のセイロン(スリランカの旧国名)で初めて警視総監になった人物であり、エナの夫は父に次いで2番目の警視総監となった人物でした。
独立直後のセイロンでは警視総監という役職においては、日ごろから身なりを整えることは重要なことでした。
1960年代初頭には、エナは自分のデザインしたテキスタイルを使って衣服を制作し、コロンボのショップで販売しました。
伝統的なサリーやサロンなどの民族衣装とともに、エナはフィンランドのマリメッコやイタリアのエミリオプッチなど、ヨーロッパで人気のあるデザインに呼応するように、当時の国際的なデザインシーンを取り入れたデザインを制作しました。
エナは結婚式のサリーから男性用シャツ、ホテルのユニフォーム、さらには寺院の象の服に至るまで手掛けました。
エナの衣服には「歴史ある伝統」と「時代の先端」の両方を組み込んだ独自の芸術表現が息づいています。
❶ [Kelani Dress](1970年代/エナデシルバ)
11 [Terracotta Pot](1960年/制作者不明)
[Kelani Dress]の柄のインスピレーションの基になったと思われる水瓶。
↑左は水瓶、右はKelani Dressの一部分↑

❷ [Collared Dress](1960年代/エナデシルバ)
襟付きのワンピ―スは、エナがMariposaで販売するためにデザインしたカジュアルウェアの一つ。Mariposa(マリポサ)は1960年代のエナの工房の服を販売していたお店。
❸ [Shirts](1960年代/エナデシルバ&Kaduwela Pathmini)
息子アニルのために作られたシャツ。
❹ [Mariposa Skirt](1960年代/エナデシルバ)
[Tree of Life(生命の樹)]をモチーフにしたスカート。柄の中にブランド名Mariposaのロゴと、バティック職人のニルナッカの名前がシンハラ文字で入っています。

❺❻ [Shirts](1960年代/エナデシルバ)
❼ [Batik Sarongs](1960年代/エナデシルバ)
❽ [Batik Sarongs](2005年/エナデシルバ)
❾⓾ [Sarees and Blouses](1980年代/エナデシルバ )
❾⓾染色後にミシンで刺繍をほどこしたもの。

❶ [Saree and Blouse](1970年代/エナデシルバ 他)
元々は結婚式のサリーとして作られたシルクの白のサリーを、イブニングウェアとしてリメイクしたもの。
❷ [Bedspred](2010年/エナデシルバ)
❸ [Batik Saree](1975年/アニル.G.ジャヤスーリヤ&エナデシルバ)
❹ [Batik Saree](1960年代/エナデシルバ)
❺ [Saree](1994年/エナデシルバ 他)

❷ 展覧会-Ⅱ
展覧会名:『Ena’s Sarees』
会期:2022年 10/22~2022年 11/3
会場:Rithihi (No.19, Alfred House Gardens, Colombo 03)
開場時間:毎日10:00~18:00
入場料:無料
エナは長年にわたり、家族や友人のために多くのサリーをデザインし、制作してきました。
シンプルなバティックコットンのサリーから、非常に複雑なアップリケ、時にはその両方を組み合わせたものまで、様々なサリーが作られました。
エナは、バティックと刺繍、アップリケ、かぎ針編みを融合させることで、スリランカの伝統衣装を時代を超えたデザインと魅力を持つユニークなファッションへと押し上げました。
↑娘の結婚式に着用↑
↑衣装に合わせてステッキやヘッドピースも製作。ステッキ入れもオリジナルのもの↑
↑エナのステッキコレクション↑
↑エナについて掲載された雑誌。コサージュのようなものは、ヘッドピース↑
右上の本『GILDING THE LILY』は、エナの甥のラジーワウィジェシンハ(Rajiva Wijesinha)がエナの活動をまとめた本をジェフリーバワ財団の資金提供により2002年に出版したもので(現在絶版)、80歳(2002年)のエナの誕生日にサプライズで贈られたと言います。
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後編では、建築家のC.アンジャレンドランの自邸と、バワが改築を手掛けたデサラムハウス開催されたプログラムを紹介ています⇒『エナデシルバ生誕100周年展覧会 (後編)
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