ポソンポーヤ;スリランカに仏教が伝えられた日 (シンボルで見る仏教伝来の日)

6月の満月日(ポヤデー)を『ポソンポヤデー(Poson Poya)』と言い、スリランカに仏教が伝来した日であるとされています。2021年は仏教伝来から2329年目となります。

毎月あるポヤデーの中でも、仏陀の生誕した日/悟りを開いた日/入滅した日とされる5月のウェサックポーヤ(Vesak Poya)に次いで盛大に祝われます。

ウェサック同様ポソンポーヤが近づくと、各家庭の軒先や、公共ならびに商業施設はランタン(クードゥ)や蓮の花のオブジェ、仏教旗で装飾されます(写真下)。
上記のようなウェサックポーヤと共通の装飾のほかに、ポソンポーヤにだけ『僧侶・男性・鹿・マンゴー』のモチーフのオブジェや絵画がみられます(写真下)。


ポソンポーヤを伝えるニュース記事にも、これらが描かれています(写真下)。

これらのモチーフは「仏教伝来の日」の様子を再現したものなのです。

紀元前3世紀の6月の満月の日に、アヌラーダプラ(Anuradhapra)のティッサ王(紀元前307~267年)がミヒンタレーに鹿狩りにやってきました。

同時期に、インドの皇帝アショーカの息子で、僧侶となったマヒンダは、アショーカの使者として、阿羅漢(仏教の悟りを得た聖者)と1人の俗人(僧侶に対して世間一般の人)を伴って仏教流布の為にインドよりミヒンタレーを訪れていました。

一方ティッサ王は、ある大きな鹿を見つけその後を追っていきます。
アンバスタラ(Ambasthala)と呼ばれる場所(現在のミヒンタレー)にたどり着いたティッサ王は、そこでマヒンダと対面しました。
実は、ティッサの追った大きな鹿は、ティッサ王をマヒンダに引き合わせるために山の神様が鹿に姿を変えていたと言われています。
ティッサ王と対面したマヒンダは、ティッサ王に対してとある質問を投げかけます。
これが『マンゴー問答』と呼ばれる有名な対話です。
マヒンダ:王よ、この木の名前は何ですか?
ティッサ王この木はマンゴーと呼ばれる木です。
マヒンダ:この木の他にマンゴーの木はありますか?
ティッサ王:はい。マンゴーの木はたくさんあります。
マヒンダ:このマンゴーの木と他のマンゴーの木以外にも木はありますか?
ティッサ王:はい。たくさんの木がありますが、それらはマンゴーの木ではありません。
マヒンダ:他のマンゴーの木や、マンゴーの木ではない木の他に、さらにほかの木がありますか?
ティッサ王:はい。このマンゴーの木があります。

続いてマヒンダは、同じ形式の質問をしました。
マヒンダ:王よ、あなたには親戚がいますか?
ティッサ王:はい、います。
マヒンダ:あなたには関係のない人がいますか?
ティッサ王:はい、関係のない人もたくさんいます。
マヒンダ:関係のある人とない人以外に、他の人はいますか?
ティッサ王:はい、一人います。それは私です。

これらの対話を通してマヒンダは、ティッサ王が明晰で鋭敏な頭脳の持ち主であることを理解し、仏教の説法をティッサ王に説きます。
そしてティッサ王は、マヒンダから仏教の教えを受け仏教に帰依しました。
国王が仏教に帰依したとのことで、仏教が瞬く間にスリランカ全土に広がりました
よって6月の満月日が「仏教伝来の日」とされています。

ここまでくると、最初に紹介したモチーフがなぜ描かれているかがわかるかと思います。
A:ティッサ王、B:鹿に姿を変えた山の神、C:マヒンダ、D:阿羅漢、E:俗人、F:マンゴーの木

ポソンポ―ヤは、スリランカ全土で祝われますが、仏教伝来の地となった「ミヒンタレー(Mihintale)」ならびに、ティッサ王の王都「アヌラーダプラ(Anuradhapura)」では特に盛大に祝われるほか、例年多くの仏教徒がこの地を訪れます。
ティッサ王とマヒンダがであったとされる場所には、現在仏塔が建てられています。
その仏塔の名前はアンバスタレー大塔(Ambasthale Dagoba)Ambaとはシンハラ語で「マンゴー」のことを指します。それぞれが立っていたとされる位置には、ティッサ王とマヒンダの像が置かれています。
マヒンダが瞑想していたと言われる岩山は、インビテーションロック(Invitation Rock)と名付けられています。かなり傾斜のきつい岩山ですが、頂上からはミヒンタレーの遺跡群や町を一望できる絶景ポイントにもなっています。

余談【残忍な王が人の模範となる指導者ダルマショーカとなったわけ】
息子のマヒンダを仏教流布のためにスリランカに送ったインドの皇帝アショーカ(紀元前277~236年)。

アショーカ皇帝は軍を率いて領土の占領と併合に成功し、アショーカの地位と評判は、「最高にして征服不能な指導者」といわれるまでになりましたが、一方で「残忍な指導者」とも呼ばれていました。

アショーカは、自分が指揮をとった領土征服の戦いにより、多くの兵士や人々が命を落としたり苦しみに陥った状況に、やがて自責の念に駆られるようになります。

深く反省し正しい統治者になることを決意したアショーカは、僧侶モガリプッタに師事し仏教の教えを学びます。その後、自分が教えられた仏教精神を広めるのが自分の使命だと考えるようになります。

それからのアショーカは「すべての人々の幸福を促進すること以上に良い仕事はない。私の息子、孫、曾孫が世界の福祉のために行動するように」との信条のもとに行動をします。
その対象は人間だけではありませんでした。
「人間が心の平安と保護を享受し、自制心と純粋な心を持って生きているように、私は私の王国のジャングルの動物たちも同じように生存を享受することを望む

この信条をもとに、道路沿いには動物や人間に日陰を与えるためにガジュマルの木を植えさせ、生き物の食料となるマンゴー畑を作りました。また様々な場所に井戸を掘らせて、動物や人間が使える水場を作らせました。

アショーカは残忍な支配者でしたが、自分の行いを悔い改めてからは、すべての人の模範となる指導者になりました。

暴力を放棄して模範となることを選んだアショーカは、その善行によりやがてダルマ(ダンマ)ショーカと呼ばれるようになりました。

ダルマ(ダンマ)は、ヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教、シーク教といったインド発祥の宗教において多種多様な意味を持つ精神や現象の概念を指します。
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