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デ・サラム一族はオランダとマレー系の血を引いており、スリランカでの家系の始まりは1731年にキャンディを訪れたオランダ大使館に同行した通訳が最初となります。
そこからデ・サラム家はオランダとイギリスの支配者に恩恵を受けながら、忠誠心によって徐々に権力と地位を獲得していきました。その後バンダラナイケ家、イランガクーン家、シリワルダナ家などスリランカの有力な家系との婚姻関係により、スリランカでの地位を確立させました。
①【The de Saram Row House(1970)】
デサラム一族の一人Robert de SaramとMirian Pieris Deraniyagala夫妻はバワの古い友人であり、1970年には4人の子供(Niloo, Rohan, S.Ajith, Druvi)のために住宅の設計を依頼しました。
バワは三軒4戸が入る長屋を設計しました。
玄関はそれぞれ別としながら、内部は廊下でつながっています。
外の窓枠や戸枠をそれぞれ別な色で囲い、同じ建物ながら別軒であるように見せています。
敷地が限られた都市の環境に合わせて、中庭を内部に設けたり内部を廊下で繋いだり、都市住宅の実験的試みがされましたが、音や騒音が響きやすいといったマイナス面もあったといわれます。
上記は現在の様子です。3軒のうち1軒は取り壊され、現存の建物も壁が追加されたり、造築されたりと変更が加えられていますが、窓枠と同じ色を使ったりと、元来の建物のイメージを引き継いでいるのがわかります。
②【Stanley de Saram House(1971)】
この家は、四方を4メートルはあろう高い白壁で囲まれています。
左の入り口や右の車庫の扉の高さからも、いかに外壁が高いかを知る事ができます。
このデザインは、交通量の多い道路に面する家を高い壁で囲むことで、喧騒を遮断し住居内に静けさを創り出しています。
正面の玄関や通用口とガレージの入り口は御影石で囲まれ、壁の圧迫感や無機質感を和らげています。
玄関の上の鉄製の装飾も同じく外観に和らぎを加えています。
持ち主の変遷により、内装は幾度となく変更されているとのことですが、この外観は現在もバワ設計当時のまま残っており、存在感を放っています。
③【Druvi de Saram House(1986)】
Druvi デ・サラムは、①で紹介したRobert de Saramの4人の子供の1人でピアニストです。
この家は、元はドゥルヴィの両親が所有していた家と敷地でしたが、Druviが譲り受け4人家族の住居として1986年にバワに改築を依頼しました。
バワは、ドゥルヴィの両親が住んでいた家も含めて改造し、さらには外壁と古いガレージの間を連結させ、そこにも部屋を造り全体に1つの家の空間としました。
この家は、中庭を中心に5つの棟からなります。
このDruvi de Saram Houseは半屋外にあるリビングスペースなど内と外の境界線が曖昧なバワらしい設計となっています。
Druviデサラム一家がイギリスに移住後は空き家となっていましたが、バワ生誕100周年記念事業の一環として、2019年4月にルヌガンガ財団がこの家の管理と修理を引き継ぎ、宿泊施設として4室に宿泊できるようになっています。
改修にあたっては、バワ氏の弟子である建築家のAmila De Melが監督しました。
❶ キングスイートルーム(King Suite Room)
ゲートを入って、すぐ横にある建物の2階にある部屋です。1階は後ほど紹介する音楽室です。
この建物は、元はドゥルヴィの両親が居住していた100年以上に建てられた家でした。
廊下はリビングエリアの役割も果たしています。

※上記4枚の画像は🔗Hotels.comからの転載

4つの客室の中で専有面積が一番広い部屋ですが、バワにより手を加えられた箇所は少なく、階段や室内など元からの造りはそのまま残されているとのことなので、バワの建築デザインを堪能したい方は他の3室を選択した方が良いかもしれません。
一方で、洗面所とは別のキッチンの流し台があったり、他の部屋の動線と交わらない場所にあるので、短期滞在する場合や他の宿泊者とあまり顔を合わせたくない場合は、一番過ごしやすい部屋かもしれません。
❷ スタンダードクイーンルーム(Standard Queen Room)
ゲートの正面、ガレージの2階にあるこの部屋は、デサラム夫妻の末娘Radhikaの部屋でした。他の部屋とは入り口も場所も異なる、独立した造りになっています。
この部屋の手前は、扉のないオープンリビングになっています(写真下)。

この部屋は全4室の中で一番狭い部屋ですが、オープンリビングが占有しやすい時間帯があります。夜や豪雨の時は簾が下ろされます(写真下)。
この部屋は全4室の中で一番狭い部屋ですが、オープンリビングが占有しやすい時間帯があります。夜や豪雨の時は簾が下ろされます(写真下)。
オープンリビングは宿泊者の共有部分ですが、簾を下ろすと個室のようになり、すぐ脇にあるこの部屋の利用者が使いやすくなります。
❸ デラックスキングルーム(Deluxe King Room)
アウトドアリビングの向かいに2連続きであるのがデラックスキングルームとデラックススイートルームです。
ピンク色にマンゴーイエローのラインが特徴のこの壁色は、ドゥルヴィがイタリアトスカーナ州の建築を好んでいたことにインスピレーションを得たものだといいます。
デラックスキングルームは、DruviとSharmini夫妻のマスターベッドルームとして建てられました。部屋はメゾネットになっており、中2階は収納とワークスペースとなっています。
ベッドの両脇に飾られているタペストリーとソファに置かれたクッションはは、2021年に🔗ユネスコ無形文化遺産に登録されたドゥンバラ織の職人であるソーマワンサ氏とベアフットの🔗ドゥンバラコレクションの物です。
メゾネット部分のアンティークの極彩色の柱(写真下)
バスルームのシャワーブース上には明かり取りが多く使われており、自然光の美しいつくりになっています(写真下)シャワーブースは、細長く歪な形をしています(写真上下)。これは家の敷地の境界線に沿って建てられているからとのこと。

❹ Deluxe Suite Room(デラックススイートルーム)
この部屋はデサラム夫妻の長女Mandhiraの部屋だった場所です。
デサラム夫妻の部屋の隣にあり、メゾネットタイプの部屋の作りはデサラム夫妻の部屋とほぼ同じですが、ベッドの向きや窓の位置が異なります。こちらの部屋は出窓が深くとられソファの役割も果たしています。
メゾネット部分には椅子のコレクションが置かれています(写真下)。
洗面所(写真下)
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以上が全4室の客室です。ここからは既に紹介したオープンリビング以外の共有部分を紹介します。
ダイニングルーム
Standard Queen RoomとDeluxe Suite/Deluxe King Roomの間にあるのがリビングルームの入り口。
宿泊者が朝食をとるのがこのダイニングルーム。部屋の長さに合わせた長いテーブルが置かれています。中央に飾られているのはラキセナナヤケのフクロウの絵。
テーブルの片側は扉はなくオープンとなっています(写真下)。小さな中庭にはフランジパニとオレンジジャスミンの木が植えられており、ピンク色の柱と壁がアクセントとなっています。

デサラム邸の修復の一環として、バワ財団はバワの美術コレクションとデ・サラム家の美術コレクションの保存と展示も行いました。これらの作品には20世紀のスリランカ美術の発展の原動力となった🔗美術家集団43グループの作品もあり、スリランカの美術史を語る上でも貴重な作品が展示されています。
もう片側には長さに沿って連なる開閉式の扉となっており、扉を開け放つと池を見下ろすことができます(写真下)。
実はこの開放感に溢れるオープンダイニングスペースの設計、Druviの妻のSharminiは気に入らずバワに異を唱えたといいます。バワはダイニングルームを閉じてしまうと単なる廊下になってしまうと主張し、主張を証明するために仮設の壁を作ってSharminiに見せたといいます。仮設の壁を見てSharminiはバワのオープンダイニングスペース案を支持したといいます。
リビング&音楽室
Druviのグランドピアノ(ヤマハ製)がおかれた音楽室兼リビングルーム。
採光の取り入れ方が特徴的な窓(写真下)
デサラム家が所有していたスリランカの仮面コレクションの一部※が展示されています(写真下)。※残りはロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に所蔵されているとのこと。デサラム邸の修復の一環として、バワ財団はバワの美術コレクションとデ・サラム家の美術コレクションの保存と展示も行いました。これらの作品には20世紀のスリランカ美術の発展の原動力となった🔗美術家集団43グループの作品もあり、スリランカの美術史を語る上でも貴重な作品が展示されています。
※上記1枚の画像は🔗Hotels.comからの転載
上記に飾られた6枚の絵は、左上からデサラム家の先祖(Christo el Henricus de Saram/1755~1841年)の肖像画、その下はバワが所蔵していた『Boy with Bull (Richard Gabriel作)』from the Geoffrey Bawa collection)、その隣の油彩画は『Family on Beach(Ivan Peries作)』、中央の大きな絵はDruviの叔父にあたるJustin Deraniyagala作の『Fruit Seller』右端も同じくJustin Deraniyagala作の『Musician』となります。
音楽室のみならず、各客室や廊下など多くの絵画が飾られています。
この家の改装/増築をきっかけに、デサラム夫妻とバワは友情を深め、夜になるとバワはこの家に立ち寄り、夫妻とお酒や夕食を共にしたといいます。しかし、バワは「Fruit Seller」の絵があまり好きではなく、リビングでくつろぐときは必ずこの絵が見えない位置に座ったというエピソードが残っています。
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