バワの原点を知る手紙から幻のホテルまで...ジェフリーバワ展覧会『It is Essential to be There』(前編)

ジェフリーバワ(Geoffrey Bawa:1919-2003年)は世界的に有名なスリランカ人建築家です。

今でこそ多くのホテルで取り入れられているインフィニティプール(プールの水面を水平線と平行にして海や地面と続いているかのように見える手法)の生みの親ともいわれています。

日本でもCasa BRUTUSCREA Travellerなど様々な雑誌に取り上げられており『バワホテルに泊まる』ことを目的の一つにスリランカに来られるお客様も増えました。

そのバワの約2カ月にわたる展覧会が先週(2/1)幕を開けました。
バワの展覧会は海外では開催されていますが、スリランカでの本格的展覧会は今回が初めてとなります

展覧会は4つのテーマセクションで構成され、建築図面や手紙、バワが旅先で撮った写真など、展示されている約120点の資料のほとんどは初公開となっておりとても貴重な展覧会となっています。また、ガイドツアーやギャラリートーク、ワークショップなど様々なイベントも用意されています。
1970年に日本の大阪で開催された『日本万国博覧会(大阪万博)』で、バワが共同設計を手がけた「セイロン館」の一部も再現されています。

展覧会名のIt is Essential to be There(直訳すると「そこにいることが不可欠」)は、かつてバワが自身の活動について語った次の言葉に由来しています。

“The site gives the most powerful push to a design along with the brief. Without seeing the site I cannot work. It is essential to be there. After two hours on the site, I have a mental picture of what will be there and how the site will change and the picture does not change.”
(意訳:‘’現場’というものは、設計デザインを強く後押ししてくれるものです。現場を見なければ私は仕事ができません。その場(現場)にいることがとても重要で不可欠なのです。現場に2時間もいると「そこに何があるのか」「現場がどのように変化していくのか」のイメージが浮かぶのです。そして浮かんだそのイメージは変わることはありません)

【開催概要】
展覧会名:『It is Essential to be There』
展示説明言語:英語・シンハラ語・タミル語
会期:2022年2/1~2022年4月3日
会場:The StablesーPark Street Mews (48 Park Street,Colombo02)
開場時間:毎日11:00~19:00(イベント等の開催により一般公開時間が変わることがあります)
入場料:無料
展覧会公式ページ: https://bawaexhibition.com/

ここからは、テーマブースに沿って展覧会の様子をざっとご紹介します。
掲載写真は全て会場内で撮影したものですのでガラスの反射等で不明瞭な点はご了承ください。写真内の文字等が見にくい場合は、画像をクリックして拡大してご覧ください。
1.Introduction
受付では、展覧会ガイドブック(非売品)を貸し出しています(退出時返却)
ガイドブックには会場の見取り図と、展示物の作者や製作年などの詳細が書かれていますので、是非借りて手に取りながらご鑑賞ください。
写真撮影は可能ですが、フラッシュ撮影は禁止となっています。

スリランカ(コロンボ)が中心になっている世界地図(下写真一番左)や、スリランカ地図(下写真左から2枚目)とルヌガンガの地図5枚は、バワが大切にしルヌガンガの家に飾られていたものです。
ルヌガンガの3枚の地図(上写真の右3枚)は1986年にバワが採用し、No.11(33番通り事務所)専任アシスタントで、ヘリタンスカンダラマ設計チームの筆頭でもあったスマンガラ ジャヤティラカ(Sumangala Jayatillaka)によるものです。

1986年の67歳の時にバワがジーン チェンバリン(Jean Chamberlin)に宛てた手紙には、イタリアに永住しようと思っていたバワがスリランカに帰国した経緯、ベントタのゴムとシナモンの農園の土地(ルヌガンガ)を購入した経緯、ルヌガンガをバワのイメージに作り上げていった経緯について回顧録のような手紙となっています。
ルヌガンガは建築家としてのバワの全ての原点といえる場所で、バワがルヌガンガを手に入れるまでの経緯が書かれたこの手紙はバワの原点を知ることのできるとても貴重なものです。

ジーン チェンバリンは、ロンドンのアイコン的な住宅建築『バービカンエステート』を建築したロンドンの建築事務所「チェンバレン・パウエル&ボン」のジョー チェンバリン(Joe Chamberlin)の妻で「チェンバレン・パウエル&ボン」の事務所のマネージャーだった人です。チェンバリン夫妻とクリストフ ボンの3人はバワのイギリス時代の友人で、1977年に3人でバワを訪ねてスリランカを訪れています(ジョーは1978年に死去)。ジーンとボンは1986年にバワのモノグラフィーを出版し、バワの建築を広く紹介しました。


補足【ルヌガンガと建築家バワの誕生】ーーーー
バワは38歳で建築家としてのキャリアをスタートさせました。そのきっかけとなったのが、バワの週末の別荘で理想郷となった『ルヌガンガ(Lunuganga)』です。
19歳で法学を学ぶためイギリスのケンブリッジ大学に留学したバワは、その後の多くの時間を海外で過ごします。弁護士として生活していたバワは、29歳の時にイタリアにヴィラを購入し永住しようとしていましたが全てを手放しスリランカに戻ります。
Jean Chamberlinに宛てた手紙より(抜粋ならびに意訳)
『私はその頃、イタリアに住むことを決めていました。不動産や家など全て売り払い、ガルダ湖を見下ろす18世紀に建てられた家を買い、満足した生活を送ろうと思っていました。
しかし農地の所有権の調査や譲渡手続きのために雇ったイタリアの弁護士は非常に時間がかかり、多くの問題を発見しては遅れについてや終わりの見通しを曖昧にしたので、私はこの件をあきらめることにしました。すべてを中止した私は、スリランカに戻り川や湖といった水の近くにある土地を購入するつもりで1948年1月に帰国しました』
スリランカに家がなかったバワはしばらくベールワラにある兄のベヴィス バワ(Bevis Bawa)の家で一緒に住んでいました。

ベヴィス バワはバワより10歳上で、元はイギリス総督の副官ならびに両親より譲り受けたベールワラの土地でゴム農園のオーナーをする傍ら、家の周囲を整備し『ブリーフガーデン(Brief Garden)』を作りました。その庭が評判を呼び、各国の大使館や公共の建物、民家などの造園を委託されるようになり、造園家として名が知られた人です。ちなみに風刺画家としても有名です。

🔦ブリーフガーデンについては以前ブログに投稿していますので、ご興味がある方はご覧ください↓↓。

Jean Chamberlinに宛てた手紙より(抜粋ならびに意訳)
『私の兄がベントタに土地を持っていて「好きなだけ滞在し、好きなようにしなさい」と、彼の家(注:ブリーフガーデン)の小さな棟を使わせてくれました。
兄の家に滞在しながら、自分の理想とする土地を探すために紹介された30近くの土地を見ていく中で、遂に気に入った土地に出会います。ベントタのシナモンとゴム農園の土地(ルヌガンガ)を気に入ったバワは、この土地を購入し庭園の整備や家の改装に乗り出します。
構想やアイデアは溢れるものの、それを具体化するための専門知識の欠如を自覚したバワは34歳にしてイギリスの建築学校に留学し、38歳でスリランカに戻り建築家としての道をスタートさせました。
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🔦ルヌガンガについては以前ブログに投稿していますので、ご興味がある方はご覧ください↓↓。
投稿)

2.Situating a Practice
1つ目のセクションでは「さまざまな地形に合わせた機能と形」というバワ建築における立地の重要性について考証されています。
多元的といわれるバワ建築において、どのプロジェクトも一貫して現場(立地)が重要視されていると言われています。その概念を示す4つの主要なプロジェクトが紹介されています。

❶エナデシルバ邸:都市型住宅 (コロンボ 1960-1962)
1962年に建てられたシルバ邸はコロンボの住宅が密集する地帯に建てられました。そこで敷地を高い境界壁で囲み中庭を設けました。中庭により狭い空間に広がりが生まれます。中庭はスリランカの土着的な住宅に伝統的に見られる様式ですが、コロンボなどの都市住宅建築の試みとしては珍しく、極めて重要な作品となっています。
ラキセナナヤケによる側面図の建築デザインと描画が融合したものとなっています。通常建築画は建物だけが描かれますが、この側面図には家具が置かれていたり、エナのバティックタペストリーが壁に貼られていたりというように、ライフスタイルがイメージできるものとなっています。
🔦エナデシルバ邸については以前ブログに投稿していますので、ご興味がある方はご覧ください↓↓。
📝『70km動いた家 (エナハウス / No.5)(2021年6月7日投稿)

❷ポロンタラーワエステートバンガロー:乾燥地帯 (クルネーガラ 1963-1965)
ポロンタラーワバンガローは古代の僧坊のように、自然の岩や木々など地形の特徴など既存の条件を生かして利用して建てられました。
既存の岩や土地の特徴を生かしてバンガローの空間を定義する、まさに景観や立地を利用した建物となっています。
この試みは、植民地時代に建てられた英国製バンガローのように、敷地を更地のように整備し、景観を遮断した建物とは根本的に異なる建造物となっています。
バワは30年後のカンダラマホテルでも、これと同じアプローチをより大きなスケールで試みています。

❸ヤハパット エンデラ農学校:湿潤地帯の丘陵地 (ハーンウェラ 1965-1971)
孤児となった女児が農業と手工芸を学べる学校の建築を委託されたバワは、ハーンウェラの丘陵地帯にあるこの土地の勾配や景観をを利用して設計しました。敷地内の建物は断面的に元の土地に沿うように組み込まれています。それぞれの建物は、それらの間の景観や眺望を壊さぬように配置されています。周囲の環境とつながりを保ち、少女たちが身近な環境とのつながりを感じられるように工夫されています。
このプロジェクトの成功は、1980年代の政府による農村開発プロジェクトのモデルともなりました。
モザイク画のデザインは、ベアフット(Barefoot)創業者でテキスタイルデザイナーや画家でもあるバーバラサンソーニ(Barbara Sansoni)によるものです。そして実際にモザイクに起したのはラキセナナヤケ(Laki Senanayake)である可能性が高いとされています。
1978年に撮られた農学校の映像

❹レッドクリフ(ジャヤワルダナハウス):海に面した家 (ミリッサ 1997-1998)
ミリッサのジャヤワルダナ邸は、バワの最後のプロジェクトとなりました。
海に面した崖の上という立地を生かして、バワは居住空間の一部を地下に埋設し、地上階の居住空間は壁ではなく柱で定義しました。これにより、崖の上にある素晴らしい敷地に建物に邪魔されることなく、風の吹き抜ける崖の上の環境や断崖からの景色を満喫できるような建造物となってます。

3.Searching for a Way of Building
2つ目のセクションでは、60年代から70年代にかけてのスリランカの緊縮財政による輸入規制で、鉄筋やガラス不足に直面したバワとその仲間たちが「手持ちの材料を使って、自分たちが構想している形や空間を表現するための代替手段を見つけよう」したと同時に、実用的な観点から建築の素材と方法を模索した足跡を辿れる6つの建物が紹介されています。

❶セントーマスプレパラトリ―スクール (コロンボ 1957-1963)
ゴールロードの沿岸という立地のため、鉄筋の建物は鉄が腐食するため、この立地の気候に適さないことが明らかになっているため、コンクリートブロックを利用することとなりました。
学校という場所柄、涼しくて明るい環境を確保するために、海側に並行して建つ3階建て校舎の1,2階を中空のコンクリートブロックでできた通気性のある壁で囲んで、強い日差しの遮断と通気性が確保されています。3階建て校舎に垂直に位置する2階建ての教室棟は奥行き
ある突き出した梁が用いられています。
通気性を重視して建てられた海側に建つ校舎は、南西モンスーンの時期は雨が校舎内に吹き込み、教室が使えなく授業ができない状況になったとの後日談も残っています。

❷レディースカレッジ (コロンボ 1960-1963)
気候に適した建築の探求はレディースカレッジにも続きます。こちらでは、ブロックと片持ち梁によって下の階に日陰をつくり、教室の換気を良くしながらも、雨の吹きこみは防ぐつくりとなっています。

❸セントブリジットモンテッソーリ (コロンボ 1963-1964)
換気を良くする目的で、屋根の瓦が乗る梁が傘のように大きく突き出し、雨や強い日差しかを遮る役目を果たしているほか、モニタールーフを導入したことで通気と遮光を実現し、日差しが強くて暑いスリランカの気候に適した建物となっています。
建物の構造の他にもバーバラサンソーニによる絵画が描かれたり、この建物の利用者は幼児であるということ、利用者について熟慮されています。

❹スチールコーポレーションのオフィスとスタッフの住宅 (オルウェラ 1963-1968)
上記3つの学校と異なり、こちらは鉄骨鉄筋コンクリートでメインの構造に、中空のコンクリートがを格子状にはめられています。格子のサイズは1階と上階では異なるサイズが用いられ、採光と通気を取り入れた構造になっています。

❺ベントタビーチホテル (ベントタ 1966-1969)
気候に適した建築の探求や工夫は、ベントータビーチホテルに凝縮されていると言われてます。このホテルはスリランカの従来の建築に馴染みのある形式を採用しながらも、コンクリートを吊る方式であったり、構造は驚くほど革新的となっています。

❻国営抵当(ステートモーゲージ)銀行 (コロンボ 1971-1978)
12階建てのこのビルは「自然換気が可能なオフィスビル」に重点を置いて設計されました。
日射熱の流入を抑えながらも風を取り入れる工夫がされています。
現在ではかなり改修されていますが、生物気候学的に優れた高層建築の重要なモデルとなっており、現在でも高く評価されています。
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前編はここまでとなります。
残りのセクションテーマDefining New Directions】【Places Unbuilt】については、バワの原点を知る手紙から幻のホテルまで...ジェフリーバワ展覧会『It is Essential to be There』(後編)でご紹介しています(←タイトルをクリックすると該当記事にリンクします)

展覧会場の【Colleagues, Clients and Friends】のバワのかつての友人、同僚、協力者やクライアントなど16人のバワにまつわる回顧話については『ジェフリーバワを語る16人(←タイトルをクリックすると記事にリンクします)をご覧ください。

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弊社(コンチツアー/Conch Tour)ではバワの手がけたホテルやバワゆかりの場所など、『バワ建築を巡る旅』の計画のお手伝いも可能ですので、展覧会に合わせた旅のご計画についてもお気軽にお問い合わせください(mail@conchtour.jp)。
その他、下記のようなモデルプランもございます。
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