ガガーリンのスリランカ訪問60周年

「地球は青かった」と名言を残したユーリイ ガガーリンは、1961年の4月12日に打ち上げられた世界初の有人宇宙衛星船・ソビエト連邦のヴォストーク1号に搭乗していた宇宙飛行士です。

ガガーリンは地球に帰還後の1961年から1965年にかけて、世界の平和と協力を提唱する「Peqce Mission(平和ミッション)」で、世界32カ国を訪問し、各国の首脳、政治家、芸術家、街の人々と交流したといいます。

スリランカ(訪問時の国名は「セイロン」)も訪問国の一つです。

60年前の今日(1961年12月7日)に、スリランカ(当時の国名はセイロン)を訪れたガガーリンは5日間の滞在期間中、南はマータラ、北はジャフナまでスリランカを一周し、多くの都市で歓喜に満ちた群衆に温かく迎えられたといいます。

ガガーリン滞在日程は次の通りです

〔1961年12月7日〕
ガガーリンは12月7日にラトマラーナ空港に降り立ち、ジョージ・ラジャパクシャ財務副大臣(ゴータバヤ大統領とマヒンダ首相の従弟にあたります)の出迎えを受けました。

シリマヴォ・バンダラナイケ首相は、世界初の宇宙飛行士を讃えるレセプションを首相公邸(テンプルツリー)で開催しました。
上記画像はEmbassy of the Russian Federation in Sri Lanka and to the Republic of Maldivesの『60th Anniversary of Yuri Gagarin's Spaceflight and Visit to Ceylon』より転載

そこではスリランカ人画家ジャヤンタ・プレマチャンドラ(1935-1988)より、ガガーリンの肖像画が手渡されました。
画像はJayantha Premachandra Official Facebook Page(https://www.facebook.com/ArtistJayanthaPremachandra)より.

〔1961年12月8日〕
2日目はコロンボからタンガッラまで西南海岸部ならびに南部海岸部を回りました
途中で平和の象徴としてハトを放鳥したとのことです。
タンガッラではゴータバヤ大統領とマヒンダ首相の父であるD.A.ラージャパクサ国会議員の歓迎を受けました。

〔1961年12月9日〕
3日目は、スリランカの中央部を中心に回りました
ペラデニヤ植物園では、仏陀がこの木の下で生まれたといわれるアショカツリー(和名ムユウジュ)の同属のイエローサラカを、セイロンとソ連の二国間関係が木のように成長するようにとの願いを込めて植樹しました。ちなみにこの木は現在もペラデニア植物園で元気に成長し続けているとのことです。
上記画像はEmbassy of the Russian Federation in Sri Lanka and to the Republic of Maldivesの『60th Anniversary of Yuri Gagarin's Spaceflight and Visit to Ceylon』より転載

また、ガガーリンはキャンディのクイーンズホテルで講演をおないました。

〔1961年12月10日〕
4日目は、スリランカ最古の首都があり仏教都市として栄えたアヌラーダプラを訪れ、スリーマハ菩提樹に白いハスの花を供花しました。その後、スリランカ北部の都市ジャフナに移動し、ジャフナからハンドレページ ダートヘラルド(Handley Page Dart Herald)機をガガーリンが操縦し、ラトゥマラーナまで移動しました。
この日はコロンボのセイロン総督邸(現大統領官邸)に宿泊しました。

〔1961年12月11日〕
最終日である5日目は、町中を回り何千人もの人々から万雷の拍手と歓声を浴びました。
そしてスリジャヤワルダナプラ大学コロンボ大学セイロン・ソビエト友好協会などに立ち寄り、講演や会合に参加しました。
夜は記者との懇談の後、ゴールフェイスホテルでのレセプションに出席しました。
ゴールフェイスホテルには宿泊もしています。
なお、歓迎レセプションが開かれ、ガガーリンが宿泊もしたコロンボのゴールフェイスホテル(Galle Face Hotel )には、ガガーリンの有人宇宙飛行から50周年を記念して2011年に設置された胸像があります。

翌朝、ガガーリンはセイロンの人々に別れを告げ、セイロンを後にしました。
上記画像はEmbassy of the Russian Federation in Sri Lanka and to the Republic of Maldivesの『60th Anniversary of Yuri Gagarin's Spaceflight and Visit to Ceylon』より転載

ガガーリンはセイロンの人々に次のような言葉を残しています。
「この素晴らしい国に招待してくださったセイロン政府に深く感謝しています。私の仲間である宇宙飛行士とすべてのソビエト人からの暖かい友好的な挨拶を、セイロンの人々に直接伝えることができれば幸いです。この心のこもった招待状は、私の国とソビエト人に対する友好的感情の表れだと考えています」

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