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コロンボ バワスポット(後編)

 

に掲載されている73の建物のうち、コロンボ市内の24の建物をピックアップして実際に撮った写真と共に紹介します。

↑Map 1-Bawa's Projects in Central Colombo[In Search of Bawa: Master Architect of Sri Lanka ]より転載
地図には建築物の大まかな所在地と建物の状態が記されています。
❶~⓱はほぼ原形のまま現存(塗替は含まない)している建物A~Cは改築などによりバワが設計した当初から大幅に変わってる建物a~eは改修工事や修復工事が必要など建物がなくなるリスクのあるバワ建築(著者の執筆当時)と分類されています。

最初の名前は建築当時の名前、矢印の後は現在の名前となっています。年代は著書によって異なるものもありますが、上記の本に記載されたものを転記しています。
ホテルやカフェなど、公式ページのある施設には施設名にリンクページをつけています。

❿ The Seema Malaka(1976年) 

📝参拝可能(外国人は有料)
バワ唯一の仏教建築で、コロンボのべイラ湖上にあります。
近くにあるガンガーラーマ寺院の分院で、僧侶となるための出家の儀式(得度)を行う場所として建てられました。
寺院は3つに分かれた土台からなっています。
中央の講堂(説法を行う場所)は、四角形の枠組みに巨大な梁で構成され、スリランカの伝統的東屋(アンバラマ)を模したと言われています。
側面は、垂木を傾斜させて隙間を開けて組んでおり、この構造は、講堂内に熱がこもらず常に風が通り抜ける役割を果たしています。
この造りは、バワがルヌガンガで建てた
鶏小屋からも着想を得ており、1979年建築(1982年完成)の新国会議事堂のデザインにも繋がっていきます。

講堂から伸びた小さな島には、得度式を行う御堂があります。
反対側の島には菩提と仏塔が配置され、四隅にはヒンドゥー教のカタラガマ神、サマン神、ナンバ神、パッティニ神を祀ったデーワーレ(祠)があります。
寺院の彫像選びにはバワは関与せず、全てが寺院の裁量によって決められたといいます。
寺院はバワの設計初から多くの変更がされており、元は赤瓦で二重勾配であった屋根も、現在の青い艶出し瓦に置き換えられています。
講堂の周囲にはタイから寄贈された青銅の仏像が追加されました。そのほか、仏像や楽像、立像など多くの像が追加されています。
講堂に向かう桟橋にも、現在は像を安置する堂が組まれて湖岸の桟橋から講堂の正面全体を見ることは出来なくなっています。さらには、菩提劇と仏塔の島は拡張ならびに増築されています。

⓫ The Jayakody House(1991-1996年) 

📝一般住宅ですが、道路に面しているため外観観覧可能
このジャヤコディハウスはバワがコロンボで一番最後に手がけた一般住宅です。
施主はプレマダーサ第2代大統領の娘の夫、ロハン・ジャヤコディ氏。

コロンボという市街地の住宅のため、防犯並びにプライバシー確保の為に壁が高く作られており、中が窺い知れないようになっていますが、通りから見える鳥籠のような螺旋階段が目を惹きます。

The State Mortage Bank/Mahaweli Authority of Sri Lanka(1976-1978年)

📝関係者以外立ち入り禁止ですが、道路に面しているため外観観覧可能(内覧はアポイントが必要)
スリランカ政府の委託で元は国営抵銀行として設計されましたが、政権交代によりキャンディのマハウェリ川流域の開発プロジェクトの当局に割り当てられました。
真上から見ると歪な多角形の12階建のこの建物は、見る角度によって形状や幅が異なって見える不思議な建物です。

この建物は「自然換気が可能なオフィスビル」に重点を置いて設計されました。
日射熱の流入を抑えながらも風を取り入れる工夫がされており、自然の採光も得られる作りとなっています。

↑断面図(2022年開催のバワの展覧会『It is Essential to be There』会場にて撮影)
このオフィスビルは生物気候学的に優れた高層建築の重要なモデルとなっており高く評価されていますが、現在では空調が取り付けられ、内部はかなり改修されているとのことですが建物自体はほ設計当時のままです。

⓭ The Raffel House(1962-1964年) 

📝一般住宅:未見

⓮ The David Spenser House(1997年) 

📝一般住宅:未見

⓯ 🔗St Bridget's Montessori(1963-1964年) 

📝学校のため、関係者以外立ち入り禁止(内覧はアポイントが必要)
↑建築当初の写真(St Bridget's Montessori公式ページのGalleryより転載

⓰ 🔗The Agrarian Research and Training Institute(1973-1976年) 

📝関係者以外立ち入り禁止(内覧はアポイントが必要)ですが、2022年10月に🔗Open House Colombo限定公開
(※Open House Colomboは、バワ財団(Geoffrey Bawa Trust)がオーガナイザーとなり、スリランカの現代建築を代表する建築事務所や建築家が手がけた建築物を公開するプログラムを定期的開催しています。)
この調査・研修所の設計をスリランカ政府から依頼された 1970年代は、スリランカの緊縮財政による輸入規制で鉄筋やガラスが不足であった時代背景があり、さらには非常に限られた予算での依頼でした。
この制約の多い案件に、バワとイスメスラヒーンは、スリランカ国内の材料を使うことで低予算と材料不足をクリアし、事務室、講義室、図書館、食堂、宿泊施設などが入った自然光と通風を最大限に生かすことができる2階建ての施設を実現させました。
建物は中庭を中心に設計され、一見するとシンメトリーな印象を受けますが、実際回ってみると異なっていることがわかります。
屋根はセメント板と瓦、梁や手すりなどにはココナツなどの木材、床は磨き艶出しされたテラコッタのタイルと、スリランカで手に入る素材が使われているため、外観はスリランカらしき伝統家屋に見えながらも、廊下の柱の間隔や、丸みを帯びた開口部にデザイン性の高さを感じさせます。

さらには、ラティスが日差しの軽減と通気性確保、さらには目隠しの役割を果たしていたり、雨樋や屋根の下に溝を設けた排水対策などとても機熊的な設計です。

⓱ The Ratnasivaratnam House (1979年) 

📝一般住宅:未見

a. The Keuneman House (1967年) 

📝一般住宅ですが、通りに面しているため外観観覧可能(但し、植栽で見える部分は限定的)
この建物の施主のピーターケネマン(Pieter Keuneman)はバワの遠縁にあたる政治家(1970年に住宅大臣に就任)です。
狭い敷地の中に、3階建ての建物を設計しました。
中は見えませんが、1階はカーポートと事務所、2階には台所や寝室、3階には窓や壁のないリビングと屋根なしのテラスが設けられていたとのことです。

b. Classroom Block for 🔗Bishop's College (1960-1963年) 

📝学校のため、関係者以外立ち入り禁止(内覧はアポイントが必要)

c. Two Classroom Blocks for 🔗St Thomas'Prep School(1958-1960年)

📝関係者以外立ち入り禁止ですが、道路に面しているため外観観覧可能(内覧はアポイントが必要)
二棟に別れた校舎のうち後方の校舎は海に平行に建てられ、手前の校舎は後方の校舎に対して直角に建てられています。
後方の校舎は1、2階が教室で3階が集会などができるホールになっており、建築当初は窓はなく、壁面のブロックを格子状にして通気性と日除けを確保したといいますが、モンスーンの時期には海側から雨水が吹き込む為、後にガラスと石組みの構造に変えられたとのこと。

↑建物模型(2022年開催のバワの展覧会『It is Essential to be There』会場にて撮影)
手前の校舎は奥行きのある梁と二階部を取り囲むベランダが特徴で、建築当初はアニルジャヤスーリヤ(バティック画家のエナデシルバの息子)による彫刻(コンクリートで型抜きしたもの)で装飾されていました。

↑建築当時の写真(2022年開催のバワの展覧会『It is Essential to be There』会場にて撮影)

d. 🔗Automobile Association Office(1959-1960年) 

📝関係者以外立ち入り禁止(内覧はアポイントが必要)。通りからは一部しか見えず。

e. Druvi de Saram Houses(1987-1994年)⇒🔗De Saram House 

📝宿泊、見学(ガイドツアー)可能
<見学概要>※事前予約必須
料金: LKR 2000(外国人)、LKR 1000(ローカル、居住ビザ所有)
予約先メール: admin@geoffreybawa.org
Druvi デ・サラムは、Robert de Saramの4人の子供の1人でピアニストです。
この家は、元はドゥルヴィの両親が所有していた家と敷地でしたが、Druviが譲り受け4人家族の住居として1986年にバワに改築を依頼しました。
バワは、ドゥルヴィの両親が住んでいた家も含めて改造し、さらには外壁と古いガレージの間を連結させ、そこにも部屋を造り全体に1つの家の空間としました
この家は、中庭を中心に5つの棟からなります
このDruvi de Saram Houseは半屋外にあるリビングスペースなど内と外の境界線が曖昧なバワらしい設計となっています
Druviデサラム一家がイギリスに移住後は空き家となっていましたが、バワ生誕100周年記念事業の一環として、2019年4月にルヌガンガ財団がこの家の管理と修理を引き継ぎ、宿泊施設として4室に宿泊できるようになっています
改修にあたっては、バワ氏の弟子である建築家のAmila De Melが監督しました。
Amila氏曰く「バワの天才的な才能はバラした時にはじめて実感する」とのこと。スリランカ内戦中の輸入規制の中で、様々な場所にバワの工夫がちりばめられているとのことです。
修復の一環として、バワの美術コレクションとデ・サラム家の美術コレクションの保存と展示も行われています。これらの作品には20世紀のスリランカ美術の発展の原動力となった美術家集団43グループの作品もあり、スリランカの美術史を語る上でも貴重な作品が展示されています。
宿泊できる各部屋や共有エリアの紹介は以前記事にしていますので、右記をご参照ください⇒🔗ジェフリーバワとデ・サラム家

A. The de Saram Row Houses(1970年) 

📝一般住宅ですが、道路に面しているため外観観覧可能
デサラム一族の一人Robert de SaramとMirian Pieris Deraniyagala夫妻はバワの古い友人であり、1970年には4人の子供(Niloo, Rohan, S.Ajith, Druvi)のために住宅の設計を依頼しました。
バワは三軒4戸が入る長屋を設計しました。
↑上記図はBawa Complete Works(David Robson著)より
日本語版もあります
玄関はそれぞれ別としながら、内部は廊下でつながっています。
外の窓枠や戸枠をそれぞれ別な色で囲い、同じ建物ながら別軒であるように見せています。
敷地が限られた都市の環境に合わせて、中庭を内部に設けたり内部を廊下で繋いだり、都市住宅の実験的試みがされましたが、音や騒音が響きやすいといったマイナス面もあったといわれます。
現在3軒のうち1軒は取り壊され、現存の建物も壁が追加されたり、造築されたりと変更が加えられていますが、窓枠と同じ色を使ったりと、元来の建物のイメージを引き継いでいるのがわかります。

B. The Fernando and Martenstyn Houses(1963,1978年)⇒🔗The Tower by Geoffrey Bawa (Martenstyn House部分)

📝宿泊可能
1963年にバワは、施主のPin&Pam Fernandoのために、2階建ての家屋を建てました(The Fernando House)。それから15年後の1978年に、彼らの娘のためにと依頼を受けて同じ敷地の菩提樹の枝葉が大きくかかる片隅に3階建ての狭小タワーハウスを建てました(Martenstyn House)
The Tower by Geoffrey Bawa公式ページより転載

↑上記図はBawa Complete Works(David Robson著)より
1階は台所とダイニングルーム、2階はリビングルーム、3階は寝室で最上階は屋上テラスとなる構造で、当時は簡素ながら革新的な建物だったといいます。

C. The National Institute of Management Studies(1975年)⇒National Institute of Business Management

📝関係者以外立ち入り禁止(内覧はアポイントが必要):未見

以上がに本に掲載されている24のコロンボ市内の建物の紹介です。前編にも書いたようにバワが手掛けた建物はコロンボ市内だけでも60以上(在籍していた建築事務所として請け負ったものも含む)にのぼるため、🔗In Search of Bawa: Master Architect of Sri Lanka (著:David Robson, 写真:Sebastian Posingis)に掲載が無い建物もあります。現在バワ財団のオフィス兼アートスペースの「The Bawa Space」もその一つです。この建物は、元は1959年後半にAelian Kannangaraという弁護士のためにバワが設計したオフィス兼住居(通称Kannangara House/カンナンガラハウス)でした。この建物については、『🔗ジェフリーバワ建築でバワ展覧会をご参照ください。

📚お勧めのバワ本

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