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【スリランカ・コロンボ観光】歴史的建造物を古写真と現在で比較(フォート地区ほか)

スリランカ最大の都市であり、商業・経済の中心地であるコロンボ(Colombo)。

近年は高層マンションやホテルの建設が相次ぐ一方、街を歩くと100年以上前に建てられた歴史的建造物も数多く残されています。近代的な高層ビルと、ポルトガル、オランダ、イギリス統治時代に建てられた歴史的建造物が共存する、新旧のコントラストが魅力的な街です。

なかでも、コロンボの中心部に位置するフォート地区(Colombo Fort)は、歴史的建造物やコロニアル建築が多く残るエリアです。

フォート地区には、現在も大統領府や外務省などの政府関連施設や金融機関が集まり、コロンボの主要なビジネス・金融地区の一つとなっています。一方で、その歴史をたどると、ポルトガル、オランダ、イギリスによる植民地統治と深く結びついた、長い歴史を持つ地区であることが分かります。

ポルトガル・オランダ・イギリス統治とフォート地区の歴史

港に面したフォート地区は、植民地時代を通じて貿易や行政の重要な拠点でした。

16世紀にはポルトガル人がこの地に進出し、「Fort(砦)」の名前の由来となった城塞を築きました。城壁に囲まれた地区には、行政・軍事施設をはじめ、輸出品であるシナモンの倉庫や製粉所、教会、住宅などが建てられていました。

イギリス統治時代の都市開発と城壁の撤去

その後、17世紀にはオランダの統治下に入り、1796年からはイギリスの植民地統治が始まります。

イギリス統治下でコロンボの港湾や商業が発展すると、要塞としてのフォートの軍事的な役割は次第に低下していきました。

一方、城壁や堀に囲まれたフォート地区は、都市や商業施設を拡張するうえで制約となっていました。

1866年には、王立工兵隊のRobert Laffan大佐によって、城壁を撤去して商業利用のための土地を確保し、その収益を別の軍事施設の整備に充てる計画が提案されました。

そして1869年12月、フォートの城壁の撤去が始まり、1871年までに大部分が取り壊され、堀も埋め立てられました。

こうして要塞としてのフォートは要塞としての機能を失い、コロンボは城壁に囲まれた要塞都市から、港湾と商業を中心とする近代的な都市へと変化していきます。

↑港から見るコロンボのフォート地区(1800年代) ©Lankapura.com

城壁の撤去と都市再開発に伴って、それまでの建物の多くも姿を消し、新しい建物が建設されました。そのため、現在のフォート地区には、19世紀末から20世紀初頭にかけて建てられたイギリス統治時代の建築物が多く残っています。

一方で、オランダ統治時代までさかのぼる建物も一部現存しており、代表的なものが現在も利用されているダッチ・ホスピタル(Dutch Hospital)です。

こうした歴史を知ってからフォート地区を歩くと、現在の街並みがまた違って見えてきます。

コロンボの昔の写真が見られるLankapura.com

今回の記事では、🔗Lankapura.comに収蔵されているコロンボの歴史的な写真と、現在の街並みを比較しながら、フォート地区に残る歴史的建造物を紹介します。

Lankapura.comは、Bawantha Perera氏がMahavamsa.orgなどでの研究活動の一環として、2005年に個人的なプロジェクトとして立ち上げたサイトです。セイロンと呼ばれていた時代を含む、スリランカの貴重な歴史的写真や資料画像を収蔵・公開しているフォトサイトです。

↑Prince Street(1942年)©Lankapura.com

約1世紀前後に撮影された写真と現在の写真を並べてみると、建物の外観が大きく変化しているものもあれば、当時の姿を驚くほどよく残している建物もあります。

スリランカは地震が比較的少なく、石造りやレンガ造りの建物が長く残りやすいことも、歴史的建造物が現存する理由の一つです。


↑フォート地区(1880年頃)©Lankapura.com

しかし、コロンボは第二次世界大戦中の空襲や、長い内戦の歴史の中でテロなどの被害も経験してきました。そうした歴史を乗り越え、100年以上前の人々が見ていた建物を、現代の私たちも実際に見ることができるというのは、コロンボの街を歩く大きな魅力の一つではないでしょうか。


コロンボ・フォート地区の歴史的建造物|古写真と現在を比較

それでは、古写真と現在の写真を見比べながら、コロンボ・フォート地区を中心に、コロンボに残る主要な歴史的建造物を訪ねてみましょう。

❶ 大統領府:1940年代と現在

↑セイロン国務院(State Council)の建物(1940年代) ©Lankapura.com
現在の大統領府(Presidential Secretariat)は、1930年にセイロン立法評議会のための建物として完成しました。

1931年からはセイロン国務院(State Council)が使用し、その後、下院、国民議会、国会へと用途が変わり、1982年に新しい国会議事堂へ移転した後、現在は大統領府として使用されています。

建物は新古典主義建築で、イオニア式の列柱を取り入れています。正面の列柱を持つ外観は、アテネのアクロポリスに建つギリシャの古代神殿、パルテノン神殿を思わせます。
↑現在の大統領府(2022年撮影)

❷ ライトハウス・クロックタワー:1880~1920年代と現在

↑現在のJanadhipathi Mawatha( ジャナーディパティ・マーワタ )から見るライトハウスクロックタワー(1810年代)©Lankapura.com
↑Chatham Street(チャタム・ストリート)から見るライトハウスクロックタワー(1870年代)©Lankapura.com
↑Chatham Street(チャタム・ストリート)から見るライトハウスクロックタワー(1880年代) ©Lankapura.com

↑ライトハウスクロックタワー(1910年代) ©Lankapura.com
↑ライトハウスクロックタワー(1927~1928年)©Lankapura.com
ライトハウス・クロックタワー(Lighthouse Clock Tower)※は、現在は灯台としての役割を終えた時計塔です。※Old Colombo Lighthouse / Colombo Fort Clock Towerとも呼ばれています。
名前から灯台として建設されたように思えますが、もともとは1856~1857年に時計塔として建設されました。

第11代セイロン総督サー・ヘンリー・ジョージ・ウォードの妻、エミリー・エリザベス・ウォードが設計し、公共事業局(Public Works Department)によって1856~1857年に建設されました。1857年2月25日に完成した塔は、高さ95フィート(約29m)で、当時コロンボで最も高い建造物だったとされています。「Chatham Street Clock Tower」と呼ばれていました。

一方、この時計塔が完成する以前の1829年には、コロンボ港に近いフォートの海側の堡塁に、別の灯台が建設されていました。

その後、1869~1871年にフォートの城壁や要塞施設が撤去されるのに伴い、この灯台も取り壊されました。そのため、灯台の航海灯は1860年代に時計塔へ移され、時計塔は灯台としての役割も担うようになりました。

しかし、コロンボの都市化が進み、周辺に高い建物が建設されると、灯りが遮られるようになりました。1952年7月12日に灯台としての役割を終え、その後は時計塔として残されています。

↑Chatham Street(チャタム・ストリート)から見るライトハウスクロックタワー(2023年撮影)
↑Janadhipathi Mawatha(ジャナーディパティ・マーワタ)から見るライトハウスクロックタワー(2023年撮影)

❸ ガフール・ビルディング:1900年代初頭~1950年と現在

↑ガフールビル(1900年代初頭) ©Lankapura.com
↑ガフールビル(1950年代頃)©Lankapura.com

ガフールビル(Gaffoor's Building)は、当時の著名な宝石商の一人であったN. D. H. Abdul Gaffoorによって建設が依頼され、1915年に完成しました。

イギリス統治時代の建築様式を取り入れ、アーチ型の列柱や中央のドーム、左右対称の建物正面など、新古典主義の要素が特徴的な建物です。

その後、この建物は大幅な改築を受けました。もともとは3階建てでしたが、後に1階分が増築され、屋根を飾っていた装飾的な柱状のドームも失われました。また、中央部分のアーチや円形の窓は四角い窓枠に変更され、装飾的だったドームも簡素な形に変えられたとされています。

さらに、長く続いたスリランカ内戦の時期には、フォート地区の建物の多くと同様に、ガフールビルも荒廃していきました。

その後、都市開発局(UDA)による取得・再開発計画が進められ、2014年には63室のシティホテルとして再開発する計画が発表されました。修復工事にはスリランカ海軍が携わり、モラトゥワ大学のコンサルタントも改修工事に関わっています。

2026年現在、外観の改修は完了しているものの、ホテルとしての完成・開業には現在も至っておらず、歴史的建造物の再生は長期化しています。

↑改修中のガフールビル(2023年撮影)

❹ Sir Baron Jayatilaka Mawatha沿いの3建物:1900~1930年代と現在

↑手前から、ヒストリック・マカン・マーカー・ビルディング、ホワイトアウェイ・ビルディング、ロイズ・ビルディング(1930年代)©Lankapura.com
↑右手前から、ヒストリック・マカン・マーカー・ビルディング、ホワイトアウェイ・ビルディング、ロイズ・ビルディング(1930年代)©Lankapura.com

↑手前から、ロイズ・ビルディング、ホワイトアウェイ・ビルディング、ヒストリック・マカン・マーカー・ビルディング(2022年撮影)

【ヒストリック・マカン・マーカー・ビルディング:Historic Macan Markar Building】

交差点に建つ5階建てのこのビルは、宝石商のマーカー家によって1910年に建てられました。

1階には外廊下が設けられ、建物正面には装飾的な柱頭を持つ縦溝彫りの柱が配されています。各階に並ぶ正方形の窓や、装飾的なモールディング、コーニスなど、新古典主義とビクトリア様式を融合したデザインといわれています。

かつては、マカン・マーカー家の宝石店「Mymoon」もこの建物に入っていましたが、現在は長期間使用されておらず、内部は荒廃した状態となっています。
↑ヒストリック・マカン・マーカー・ビルディング(2022年撮影)
↑ヒストリック・マカン・マーカー・ビルディング(2022年撮影)

【ホワイトアウェイ・ビルディング:Whiteaway Building】

1907~1908年頃に建てられたホワイトアウェイ・ビルディング(Whiteaway Building)は、イギリスの百貨店チェーン、ホワイトアウェイ・レイドロー社のコロンボ店として建てられました。同社は1960年代まで営業を続けていました。

3階建ての建物は、1階に外廊下が設けられ、2つのアーチ型の出入り口があります。2階にはアーチ型の窓、3階には四角い窓が並び、なかでも王冠のような形をした切妻屋根が目を引きます。

その後、建物は長い年月の間に荒廃し、スリランカ内戦などによる社会情勢の影響もあって、約30年間閉鎖された状態になっていました。

2011年、スリランカ中央銀行(Central Bank of Sri Lanka)が隣接するロイズ・ビルディングとともに取得。その後、入念な修復作業が行われ、歴史的な外観がよみがえりました。

現在は、スリランカ中央銀行のEmployees' Provident Fund(EPF:従業員積立基金)部門が入っています。
↑ホワイトアウェイ・ビルディング(2022年撮影)

↑手前から、ヒストリック・マカン・マーカー・ビルディング、ロイズ・ビルディング(2022年撮影)

【ロイズ・ビルディング:Lloyd's Buildings】

↑写真奥:ロイズ・ビルディング(1900年代初頭)©Lankapura.com
1908年に完成した5階建てのジョージアン様式の建物は、ドイツの貿易会社であるフロイデンベルク商会(Freudenberg & Co.)が主要な入居者となっていたことから、当初は「フロイデンベルク・ビルディング」と呼ばれていました。

建築当時、1エーカーあたり55万スリランカ・ルピーという当時では高額で取得されたといい、建物にはドイツ領事館も入っていました。

第一次世界大戦の勃発に伴い、ドイツ領事館は1915年に閉鎖され、1917年にはイギリスの敵国企業清算条例第20号(1915年)に基づき、フロイデンベルク商会とその資産は清算され、建物の売却に関する入札が行われました。

その後、1917~1918年頃にロイズ・オブ・ロンドンのスリランカ(当時はセイロン)における代理店であるエイトケン・スペンス社(Aitken Spence)が、本社として使用したことから、「ロイズ・ビルディング」と呼ばれるようになりました。

1933年に売却され、いくつか所有者が変わったのちに、1957年にはユナイテッド・セイロン・インシュアランス社が取得し、50年以上にわたりこの建物を事業所として使用していました。

2009年にスリランカ中央銀行が隣のホワイトアウェイ・ビルディングと共にこの建物を購入し、大規模な修復工事を経て、2011年よりこの建物を使用しています。

↑ロイズ・ビルディング(2022年撮影)

❺ グランドオリエンタルホテル: 1880年代~1920年と現在

↑グランドオリエンタルホテル(1880年代)©Lankapura.com
↑右:グランドオリエンタルホテル(1900年代初期)©Lankapura.com
↑グランドオリエンタルホテル(1910~1920年代頃)©Lankapura.com
元々はオランダ総督が住んでいた建物で、1837年から1870年代初頭にかけて、イギリス軍の兵舎として転用されました。

その後、当時のセイロン総督のもとで、既存の建物をホテルへ改築することになりました。

ホテルの設計は、国立博物館や旧市庁舎の設計も手掛けた公共事業局の建築家、J・G・スミサー(J. G. Smither)が担当しました。1873年にホテルへの改築が始まり、1875年11月5日、現在の「グランド・オリエンタル・ホテル」としてオープンしました。
↑グランドオリエンタルホテル(写真奥の白い建物)。手前は、ヒストリック・マカン・マーカー・ビルディング、(2022年撮影)
↑グランド・オリエンタル・ホテル(写真右の白い建物)。正面はヒストリック・マカン・マーカー・ビルディング。(2022年撮影)

❻ カーギルズ・ミラーズ・ビル:1910~30年代と現在

↑右:カーギリス・ミラーズ・ビル(1910年代)©Lankapura.com
この建物のある敷地は、もともと1788年にゴールの司令官の邸宅でした。その後、イギリス統治当局はこの邸宅を取得し、初代セイロン総督の邸宅として使用しました。

数十年後、ウィリアム・ミルン(William Milne/実業家)とデイビッド・シメ・カーギル(David Sime Cargill/実業家)の2人の手に渡りました。事業が繁栄するにつれ、二人はこの地に拠点を構えることを決めました。

その後、1896年にカーギルが事業を引き継ぎ、有限会社として法人化しました。
ロンドンの象徴的なハロッズを思わせる外観を持つカーギルズ・ミラーズ・ビルは、1902年に着工し、1906年に完成しました。
↑カーギリス・ミラーズ・ビル(2023年撮影)

❼ ランケン・プランテーションビルと製薬公社ビル:現在

↑ランケン・プランテーション・ビル(手前)と製薬公社ビル(右奥)(2022年撮影)

【Lankem Plantations House】

↑ランケン・プランテーション・ビル(2022年撮影)
この建物は、ランケム・ティー・アンド・ラバー・プランテーションズ(Lankem Plantations House)の旧本社ビルです。

その建設年代については諸説あり、1860年頃としているものもあれば、1901年としているものもあります。

テラコッタと白レンガで仕上げられた3階建てのこの建物は、床や階段に木材が使われています。アーチや四角い窓など、ビクトリア様式やビザンチン建築の要素を取り入れた建築とされています。

【State Pharmaceuticals Corporation Building】

↑製薬公社ビル(2022年撮影)
この建物は、スコットランド人によって1854年に建設されたと言われています。

4階建ての建物で、内部には多くの変更が加えられていますが、外観はほぼ当時の姿を保っているとされています。

1階の正面玄関は5つのアーチで設計されていますが、その後の改修工事によって、建物の裏側にあったアーチは撤去されています。
現在は、スリランカ国営製薬公社(State Pharmaceuticals Corporation of Sri Lanka/SPC)の本社として使用されています。

❽ デ・メル・ビル:現在
1921年に建設された地下1階・地上3階建てのこの建物には、ジェイコブ・デ・メル(Jacob De Mel)が1870年に創業したH.L.デ・メル&カンパニー(H. L. De Mel & Company)が、建築当初から拠点を置いています。

建物の正面は左右対称に設計され、柱によって3つの縦長の区画に分けられています。

柱の先端にはコリント式の柱頭が配され、柱には花模様の漆喰装飾が施されるなど、ヨーロッパの古典様式とスリランカの職人技が融合したデザインとなっています。

❾ ヨークビル:現在

ヨーク・ビル(York Building)は、1900年代初頭に建てられたとされる歴史的建造物の一つです。左右対称の構成や古典的な装飾など、パッラーディオ様式を思わせる外観が特徴です。

❿ オールド・マーケティング・デパートメント・ビルディング:現在

1878年に建てられた2階建てのこの建物は、ローマ様式とビクトリア様式の半円形のアーチが連なり、上階には、装飾的な欄間を備えた背の高いアーチ型の窓が並んだ新古典主義建築となっています。

建設当初の具体的な用途については、確認できる資料からは明らかになっていませんが、その後、さまざまな政府機関に使用され、マーケティング部門が使用したことから、現在は「Old Marketing Department Building」と呼ばれています。

2011年には、コロンボの再開発事業の一環として、この歴史的建造物の改修計画が承認されました。その後、隣接するダッチ・ホスピタル周辺の再開発に伴って改修され、現在はDilmahのティーラウンジやパブなど商業施設として再利用されています。

⓫ セントラル・ポイント・ビルディング:現在

セントラルポイントビルディング(The Central Point Building)は、1914年に完成し、オーストラリアの保険会社の支社ビルとして使用されていました。

竣工時、このビルはコロンボで最も高い建築物だったといいます。

ギリシャ・ローマ風のこの建物は、美しいコリント式の円柱で装飾された外観、大理石で覆われた内観、円形の吹き抜けやステンドグラス、シャンデリアなど、とても豪華な造りとなっています。

この建物は保険会社が撤退した後、何度か所有者が変わりましたが、内戦中であった1996年に中央銀行の敷地内で起きた爆破テロ事件で、この建物も大きな被害を受け、長期間使用されない状態となりました。

一時期は軍の仮設兵舎として使用されていましたが、2011年に中央銀行が買い取り、この建物の建築学的・歴史的価値を踏まえた改修を経て、2013年には、1・2階に「スリランカ経済史博物館(入場無料)」が開館しました。

フォート地区以外のコロンボの歴史的建造物|古写真と現在を比較

① ジャミウルアルファモスク:1920~40年代と現在









↑ジャミウルアルファモスク(1910年代)©Lankapura.com
コロンボの市場や卸売り店、小売り店が立ち並ぶペター地区にある、ひと際目を惹くこのジャミウルアルファモスク(Jami Ul-Alfar Mosque)は、1908年に着工し、1909年に完成したコロンボで最も古いモスクの一つです。

建物は、インド・イスラム建築を基調に、ゴシック・リバイバルや新古典主義の要素も取り入れたインド・サラセン様式の影響を受けた建築です

通称「レッドモスク」と呼ばれるとおり、赤と白のストライプやチェック、ジグザグ、渦巻きなどの独特な模様が外観を彩っています。また、モスクのドームや尖塔の形は、ザクロの果実を模したものとされています。

建築当初は約1,500人の礼拝者を収容できる規模でした。その後、1975年に隣接する土地を取得して拡張工事が始まり、さらに2007年から新たな拡張工事が行われ、現在は約1万人を収容できる規模となっています。

↑ジャミウルアルファモスク(2024年撮影)

② コロンボ国立博物館:1920~40年代と現在

↑コロンボ国立博物館(1800年代)©Lankapura.com
コロンボ国立博物館(Colombo National Museum)は、当時のセイロン総督のもとで設立され、1876年に建物が完成し、1877年1月1日に開館しました。

建物の設計を手掛けたのは、公共事業局(Public Works Department)の建築家J. G. Smitherです。

白を基調とした堂々とした2階建ての建物は、イタリア建築様式を取り入れたデザインが特徴です。左右対称の外観や、正面に並ぶアーチや柱など、当時のイギリス統治下のコロンボで建てられた公共建築らしい、重厚で格式のある雰囲気を感じることができます。
↑コロンボ国立博物館(2024年撮影)

③ コロンボ市庁舎:1940年代と現在

↑コロンボ市庁舎(1940年代)©Lankapura.com
アメリカの国会議事堂を思わせる大きなドームと装飾柱を備えた白塗りの建物は、1928年に完成したコロンボ市庁舎(Colombo Town Hall)です。

新古典主義建築の影響を強く受けているとされ、外壁は石灰を主原料とするスタッコ(化粧漆喰)で仕上げられています。

この市庁舎の設計は、1922年に国際建築設計コンペティションによって募られました。提出された32案から、当時シンガポールの建築事務所Ralph Booty & Co.に所属していた建築家S. J. Edwardsの案が最優秀に選ばれました。

彼らは、これをきっかけにコロンボに進出し、パートナーの交代に伴って、Edwards & Booty(エドワーズ&ブーティ)、Edwards, Reid & Booth(エドワーズ・レイド&ブース)、Edwards, Reid & Begg(E.R.&B./エドワーズ・レイド&ベッグ)へと名称を変え、セイロンを代表する建築事務所の一つとして発展しました。

ジェフリー・バワも、1951年にH. H. Reidのもとで見習いを始め、英国で建築を学んだ後、1958年にE.R.&B.のパートナーとなりました。その後、同事務所を拠点に数多くの建築作品を手掛け、スリランカを代表する建築家として活躍しました。

↑コロンボ市庁舎(2022年撮影)

④ ゴールフェイスホテル:1890,1910年代と現在

↑ゴールフェイスホテル(1890年代初頭)©Lankapura.com
↑ゴールフェイスホテル(1910年代)©Lankapura.com
ゴール・フェイス・ホテル(Galle Face Hotel)は、1864年に開業した、コロンボを代表する歴史あるホテルです。

ホテルの起源は、ゴール・フェイス地区にあった「Galle Face House」と呼ばれる建物にさかのぼります。もともとは植民地時代のヨーロッパ人社会の社交の場として利用されていましたが、その後、4人のイギリス人によってホテルとして発展しました。

19世紀後半には、「スエズ運河以東で最高のホテル」と称されるほどの名声を得たといわれています。

長い歴史のなかで、各国の王族や要人、著名人を迎えてきたことでも知られています。日本からも、皇太子時代の裕仁親王(後の昭和天皇)が1921年の欧州訪問の際に宿泊したほか、各国の要人が滞在した歴史あるホテルです。

↑ゴールフェイスホテル(2022年撮影)

⑤ ヴィクトリア・メモリアル・ビルディング:1910年代と現在

↑ビクトリア・メモリアル・ビルディング(1910年代頃)©Lankapura.com
Victoria Memorial Eye Hospital(ヴィクトリア・メモリアル眼科病院)は、1901年に死去したヴィクトリア女王を記念する眼科病院として計画され、1906年4月2日に一般公開されました。

設計を手掛けたのは、イギリス出身の建築家エドワード・スキナー(Edward Skinner)。建物は、インドの建築伝統の影響を受けた特徴的な建物で、赤レンガの外壁にアーチやドーム、小塔などを組み合わせた特徴的な外観となっています。

1965年に隣接地に新しい眼科病院が開設され、眼科部門は移転しましたが、その後も建物は医療施設として利用され、1967年には救急部門が置かれました。現在も、コロンボの植民地時代を伝える歴史的建造物の一つとして、その特徴的な赤レンガの姿を残しています。
↑ビクトリア・メモリアル・ビルディング(2022年撮影)

コロンボに残る歴史的建造物を訪ねて

上記で紹介した建物以外にも、コロンボには現在も多くの歴史的建造物が残っています。

さらに、現在も現役で使用されている建物が多いことにも驚かされます。

また、🔗Lankapura.comには、コロンボをはじめスリランカ各地の歴史的な写真が数多く収蔵されています。

観光前にこうした写真でかつての街並みや建物の姿を見ておき、実際に同じ場所に立って、昔のコロンボに思いをはせながら街を歩いてみるのもおすすめです。

当時の写真と同じ構図で写真を撮ってみるのも、歴史を身近に感じられて面白いかもしれません。

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  2026年7/1追記) ⇒ 【2027年】スリランカの祝日・祝祭日一覧 2026年のスリランカの祝祭日が、5月27日付の臨時官報で発表されました。 2026年は祝祭日が土日と重なる日が多いものの、 4月には土日と合わせて4連休が1回 、 3月・5月・6月・12月には土日と合わせて3連休となる日並びがあります 。 スリランカの祝日は、仏教、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教の4つの宗教に由来しています。 さらに、スリランカでは毎月満月の日が祝日となります。これは ポヤデー(Poya Day) と呼ばれる仏教由来の祝日で、満月の日には仕事や飲酒、肉食を慎み、寺院を参拝して敬虔の念を深める日とされています。 下記の祝日には3種類のマークを付けました。なお、一部の祝日は民間企業では休日とならない場合があります。 ◆  Public Holiday:一般の祝日(公的機関や学校などが休み) ◆ Bank Holiday:銀行の休日 ● Mercantile Holiday:商業部門・民間企業の休日(国民の休日) 1月   ※ スリランカの正月(正式には 「シンハラ・タミル正月」 )は4月のため、1月1日は祝日ではありません。しかし、新年を祝う習慣はあり、職場では各家庭から持ち寄った伝統菓子やミルクライスを囲んで新年を祝い、女性はサリーやサルワールなど民族衣装を着て出勤する人も多く見られます。 3日(土) : ドゥルトゥ ポヤデー(満月日) ◆ ◆ ● ※ コロンボ郊外の ケラニヤで行われる「ドゥルトゥ・ペラヘラ」 は、毎年ドゥルトゥ月の満月日前夜を最終日として3日間開催されます。寺院周辺を巡行する本格的なペラヘラが行われるのは最終夜です。 15日(木) : タイポンガル(タミル豊穣祭) ◆ ◆ ● 2月 1日(日) : ナワン ポヤデー(満月日) ◆ ◆ ● ※ コロンボで開催される「 ナワン・ペラヘラ 」は、キャンディ・ペラヘラに次ぐ規模を誇ります。毎年ナワン月の満月日が最終日に設定されるため、2026年は1月31日~2月1日に開催される可能性があります(※正式発表前)。 ナワンペラヘラについては以前記事を書いていますので、ご興味のある方は下記タイトルをクリックして閲覧ください。 🔗 ペラヘラ祭りはキャンディのみならず 4日(水) :独立記念日 ◆ ◆...

コロンボから世界遺産ゴールまで(列車移動の注意点と快適A/Cバスの案内)

スリランカの鉄道といえば、 高原列車(アップカントリーライン) が有名ですが、インド洋を眺めながら走る 海岸列車(コースタルライン) も人気があります。 この路線は、スリランカ最大の商業都市 コロンボ(Colombo) や旧市街が世界遺産に指定されている ゴール(Galle) も含まれますので、列車を使ってコロンボ(フォート駅)からゴール方面への移動を考えている方もいるかと思います。 しかし実際には、座席の確保や遅延、時刻表の違いなど、日本の鉄道とは異なる点も少なくありません。 この記事では、コロンボ〜ゴール間を列車で移動する際の注意点と、おすすめの公共交通機関について実体験を交えながら紹介します。 コロンボからゴールまで列車で移動する前に知っておきたい5つの注意点 ① フォート駅は海岸列車(コースタルライン)の始発駅ではない * 正式名称は Colombo Fort 駅 フォート(Fort)駅 はコロンボ最大の駅で、キャンディやヌワラエリヤ方面などのアップカントリーラインの始発駅であります。しかし コースタルラインの始発駅は、フォート駅の隣の マラダーナ(Maradana)駅 となります (フォート駅始発もあります。②の時刻表参照)。 この路線は通勤通学の利用客が多いため、利用客の多い時間帯は フォート駅に到着した時にはすでに座席に空きがない ばかりか、フォート駅でさらに乗り込むので満員状態で、乗車時間の半分近くが立ちっぱなしとなることもあります。 フォート駅からマラダーナ駅までは約2kmしか離れていません。コロンボ始発の列車でなければ マラダーナ駅からの乗車をお勧め します。 ただ始発駅であっても、利用客の多い時間帯は列車の入構と同時に席の争奪戦となります。 日本のようにきちんと整列していないばかりか、乗車位置が定まっておらず、乗車口に人が殺到しますので、身の安全(スリも含めて)に気を付けてください。 コロンボ・ゴール間を列車移動したい場合は、下り(コロンボからゴール)よりも上り(ゴールからコロンボ)をお勧めします。 逆区間(ゴール駅からコロンボ ペター駅まで)の午後 (夕方前の通勤通学の利用客が少ない時間帯) の列車であれば、ゴール始発でなくても座れる可能性が高い です。 ② 列車によって所要時間が大きく異なる 日本でも急行と各駅停車では所要時間が異なるように...

サリー(オサリヤ)の魅力と、着るときのポイント(注意点)

2022年9月追記) スリランカでは男性が着用するサラマ(サロン)の女性におすすめの着方について記事にしました→ 『🔗 女性にもおすすめスリランカのサラマ (サロンSarong) 』 (←タイトルをクリックすると該当記事にリンクします) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー サリー(Saree/Sari) は、スリランカをはじめ、インド、ネパール、バングラデシュなど南アジア各地で着用されている女性の民族衣装の一つです。 共布で仕立てたブラウスに、5メートル以上の長い布を巻き付けて着用します。布の巻き方によってさまざまな着こなしができるほか、体型を問わず美しく着こなせることもサリーの魅力の一つです。 素材もコットン(綿)、化繊、シルクなどさまざまで、光沢のあるものやプリント柄、染色されたもの、手織りのものなど、その種類は実に千差万別です。 📝 サリーを購入するなら⇒ 『 Amazon/サリー一覧 』 スリランカでは大きく分けて2種類の着方 がされています 。 下の写真が多くの方がイメージするインド式のサリーの着方かと思います。 サリーを着用する国の大半はこの着方がベースになっているかと思います。 こちら⇩は上のサリーをアレンジしたもの。タックを止めずに着流したものです。パーティ―など宴席で多く見られる着方です。 下の写真⇩ は上下2部に分けるように腰回りに襞を作っています。これは スリランカ独自に発展した着方 です。 スリランカでは、多くの国で着られる左二つのインド式の着方は 「 サリー または インディアンサリー 」 と呼ばれています。一番右のスリランカ独自に発展した着方は 「 オサリヤ または キャンディアンサリー 」 と呼ばれています。 下記の布の場合、端にある 大きな絵柄がインド式サリーとして着た場合は後ろ(横)に垂らすタレ に来るように着つけます。 オサリヤ(キャンディアン)として着た場合は正面などスカート部分に大きな絵柄 が来るように着つけます。 どの着方でも、共布で作った ブラウス(へッタ) をきて、サリー用の アンダースカート に 1枚の布 を巻き付けて着ています(↓)。 補足) アンダースカート (サリーの下に履き、和装の裾除けのような役割を果たす)は 通常サリーの色に合わせて同系色を選びます (通常青色のサリーの場合は、青色...