スリランカ最大の都市であり、商業・経済の中心地であるコロンボ(Colombo)。
近年は高層マンションやホテルの建設が相次ぐ一方、街を歩くと100年以上前に建てられた歴史的建造物も数多く残されています。近代的な高層ビルと、ポルトガル、オランダ、イギリス統治時代に建てられた歴史的建造物が共存する、新旧のコントラストが魅力的な街です。
なかでも、コロンボの中心部に位置するフォート地区(Colombo Fort)は、歴史的建造物やコロニアル建築が多く残るエリアです。
フォート地区には、現在も大統領府や外務省などの政府関連施設や金融機関が集まり、コロンボの主要なビジネス・金融地区の一つとなっています。一方で、その歴史をたどると、ポルトガル、オランダ、イギリスによる植民地統治と深く結びついた、長い歴史を持つ地区であることが分かります。
ポルトガル・オランダ・イギリス統治とフォート地区の歴史
港に面したフォート地区は、植民地時代を通じて貿易や行政の重要な拠点でした。
16世紀にはポルトガル人がこの地に進出し、「Fort(砦)」の名前の由来となった城塞を築きました。城壁に囲まれた地区には、行政・軍事施設をはじめ、輸出品であるシナモンの倉庫や製粉所、教会、住宅などが建てられていました。
イギリス統治時代の都市開発と城壁の撤去
その後、17世紀にはオランダの統治下に入り、1796年からはイギリスの植民地統治が始まります。
イギリス統治下でコロンボの港湾や商業が発展すると、要塞としてのフォートの軍事的な役割は次第に低下していきました。
一方、城壁や堀に囲まれたフォート地区は、都市や商業施設を拡張するうえで制約となっていました。
1866年には、王立工兵隊のRobert Laffan大佐によって、城壁を撤去して商業利用のための土地を確保し、その収益を別の軍事施設の整備に充てる計画が提案されました。
そして1869年12月、フォートの城壁の撤去が始まり、1871年までに大部分が取り壊され、堀も埋め立てられました。
こうして要塞としてのフォートは要塞としての機能を失い、コロンボは城壁に囲まれた要塞都市から、港湾と商業を中心とする近代的な都市へと変化していきます。
↑港から見るコロンボのフォート地区(1800年代) ©Lankapura.com城壁の撤去と都市再開発に伴って、それまでの建物の多くも姿を消し、新しい建物が建設されました。そのため、現在のフォート地区には、19世紀末から20世紀初頭にかけて建てられたイギリス統治時代の建築物が多く残っています。
一方で、オランダ統治時代までさかのぼる建物も一部現存しており、代表的なものが現在も利用されているダッチ・ホスピタル(Dutch Hospital)です。
こうした歴史を知ってからフォート地区を歩くと、現在の街並みがまた違って見えてきます。
コロンボの昔の写真が見られるLankapura.com
今回の記事では、🔗Lankapura.comに収蔵されているコロンボの歴史的な写真と、現在の街並みを比較しながら、フォート地区に残る歴史的建造物を紹介します。
Lankapura.comは、Bawantha Perera氏がMahavamsa.orgなどでの研究活動の一環として、2005年に個人的なプロジェクトとして立ち上げたサイトです。セイロンと呼ばれていた時代を含む、スリランカの貴重な歴史的写真や資料画像を収蔵・公開しているフォトサイトです。
↑Prince Street(1942年)©Lankapura.com約1世紀前後に撮影された写真と現在の写真を並べてみると、建物の外観が大きく変化しているものもあれば、当時の姿を驚くほどよく残している建物もあります。
スリランカは地震が比較的少なく、石造りやレンガ造りの建物が長く残りやすいことも、歴史的建造物が現存する理由の一つです。
↑フォート地区(1880年頃)©Lankapura.com
しかし、コロンボは第二次世界大戦中の空襲や、長い内戦の歴史の中でテロなどの被害も経験してきました。そうした歴史を乗り越え、100年以上前の人々が見ていた建物を、現代の私たちも実際に見ることができるというのは、コロンボの街を歩く大きな魅力の一つではないでしょうか。
コロンボ・フォート地区の歴史的建造物|古写真と現在を比較
それでは、古写真と現在の写真を見比べながら、コロンボ・フォート地区を中心に、コロンボに残る主要な歴史的建造物を訪ねてみましょう。
❶ 大統領府:1940年代と現在
↑セイロン国務院(State Council)の建物(1940年代) ©Lankapura.com1931年からはセイロン国務院(State Council)が使用し、その後、下院、国民議会、国会へと用途が変わり、1982年に新しい国会議事堂へ移転した後、現在は大統領府として使用されています。
↑現在の大統領府(2022年撮影)❷ ライトハウス・クロックタワー:1880~1920年代と現在
↑Chatham Street(チャタム・ストリート)から見るライトハウスクロックタワー(1870年代)©Lankapura.com第11代セイロン総督サー・ヘンリー・ジョージ・ウォードの妻、エミリー・エリザベス・ウォードが設計し、公共事業局(Public Works Department)によって1856~1857年に建設されました。1857年2月25日に完成した塔は、高さ95フィート(約29m)で、当時コロンボで最も高い建造物だったとされています。「Chatham Street Clock Tower」と呼ばれていました。
一方、この時計塔が完成する以前の1829年には、コロンボ港に近いフォートの海側の堡塁に、別の灯台が建設されていました。
その後、1869~1871年にフォートの城壁や要塞施設が撤去されるのに伴い、この灯台も取り壊されました。そのため、灯台の航海灯は1860年代に時計塔へ移され、時計塔は灯台としての役割も担うようになりました。
しかし、コロンボの都市化が進み、周辺に高い建物が建設されると、灯りが遮られるようになりました。1952年7月12日に灯台としての役割を終え、その後は時計塔として残されています。
↑Chatham Street(チャタム・ストリート)から見るライトハウスクロックタワー(2023年撮影)↑Janadhipathi Mawatha(ジャナーディパティ・マーワタ)から見るライトハウスクロックタワー(2023年撮影)
❸ ガフール・ビルディング:1900年代初頭~1950年と現在
↑ガフールビル(1900年代初頭) ©Lankapura.com↑ガフールビル(1950年代頃)©Lankapura.com
ガフールビル(Gaffoor's Building)は、当時の著名な宝石商の一人であったN. D. H. Abdul Gaffoorによって建設が依頼され、1915年に完成しました。
イギリス統治時代の建築様式を取り入れ、アーチ型の列柱や中央のドーム、左右対称の建物正面など、新古典主義の要素が特徴的な建物です。
その後、この建物は大幅な改築を受けました。もともとは3階建てでしたが、後に1階分が増築され、屋根を飾っていた装飾的な柱状のドームも失われました。また、中央部分のアーチや円形の窓は四角い窓枠に変更され、装飾的だったドームも簡素な形に変えられたとされています。
さらに、長く続いたスリランカ内戦の時期には、フォート地区の建物の多くと同様に、ガフールビルも荒廃していきました。
その後、都市開発局(UDA)による取得・再開発計画が進められ、2014年には63室のシティホテルとして再開発する計画が発表されました。修復工事にはスリランカ海軍が携わり、モラトゥワ大学のコンサルタントも改修工事に関わっています。
2026年現在、外観の改修は完了しているものの、ホテルとしての完成・開業には現在も至っておらず、歴史的建造物の再生は長期化しています。
↑改修中のガフールビル(2023年撮影)❹ Sir Baron Jayatilaka Mawatha沿いの3建物:1900~1930年代と現在
↑手前から、ヒストリック・マカン・マーカー・ビルディング、ホワイトアウェイ・ビルディング、ロイズ・ビルディング(1930年代)©Lankapura.com【ヒストリック・マカン・マーカー・ビルディング:Historic Macan Markar Building】
1階には外廊下が設けられ、建物正面には装飾的な柱頭を持つ縦溝彫りの柱が配されています。各階に並ぶ正方形の窓や、装飾的なモールディング、コーニスなど、新古典主義とビクトリア様式を融合したデザインといわれています。
【ホワイトアウェイ・ビルディング:Whiteaway Building】
3階建ての建物は、1階に外廊下が設けられ、2つのアーチ型の出入り口があります。2階にはアーチ型の窓、3階には四角い窓が並び、なかでも王冠のような形をした切妻屋根が目を引きます。
2011年、スリランカ中央銀行(Central Bank of Sri Lanka)が隣接するロイズ・ビルディングとともに取得。その後、入念な修復作業が行われ、歴史的な外観がよみがえりました。
【ロイズ・ビルディング:Lloyd's Buildings】
建築当時、1エーカーあたり55万スリランカ・ルピーという当時では高額で取得されたといい、建物にはドイツ領事館も入っていました。
その後、1917~1918年頃にロイズ・オブ・ロンドンのスリランカ(当時はセイロン)における代理店であるエイトケン・スペンス社(Aitken Spence)が、本社として使用したことから、「ロイズ・ビルディング」と呼ばれるようになりました。
2009年にスリランカ中央銀行が隣のホワイトアウェイ・ビルディングと共にこの建物を購入し、大規模な修復工事を経て、2011年よりこの建物を使用しています。
❺ グランドオリエンタルホテル: 1880年代~1920年と現在
その後、当時のセイロン総督のもとで、既存の建物をホテルへ改築することになりました。
❻ カーギルズ・ミラーズ・ビル:1910~30年代と現在
数十年後、ウィリアム・ミルン(William Milne/実業家)とデイビッド・シメ・カーギル(David Sime Cargill/実業家)の2人の手に渡りました。事業が繁栄するにつれ、二人はこの地に拠点を構えることを決めました。
❼ ランケン・プランテーションビルと製薬公社ビル:現在
【State Pharmaceuticals Corporation Building】
4階建ての建物で、内部には多くの変更が加えられていますが、外観はほぼ当時の姿を保っているとされています。
❽ デ・メル・ビル:現在1921年に建設された地下1階・地上3階建てのこの建物には、ジェイコブ・デ・メル(Jacob De Mel)が1870年に創業したH.L.デ・メル&カンパニー(H. L. De Mel & Company)が、建築当初から拠点を置いています。建物の正面は左右対称に設計され、柱によって3つの縦長の区画に分けられています。
柱の先端にはコリント式の柱頭が配され、柱には花模様の漆喰装飾が施されるなど、ヨーロッパの古典様式とスリランカの職人技が融合したデザインとなっています。
建物の正面は左右対称に設計され、柱によって3つの縦長の区画に分けられています。
❾ ヨークビル:現在
❿ オールド・マーケティング・デパートメント・ビルディング:現在
建設当初の具体的な用途については、確認できる資料からは明らかになっていませんが、その後、さまざまな政府機関に使用され、マーケティング部門が使用したことから、現在は「Old Marketing Department Building」と呼ばれています。
⓫ セントラル・ポイント・ビルディング:現在
竣工時、このビルはコロンボで最も高い建築物だったといいます。
この建物は保険会社が撤退した後、何度か所有者が変わりましたが、内戦中であった1996年に中央銀行の敷地内で起きた爆破テロ事件で、この建物も大きな被害を受け、長期間使用されない状態となりました。
フォート地区以外のコロンボの歴史的建造物|古写真と現在を比較
① ジャミウルアルファモスク:1920~40年代と現在
建物は、インド・イスラム建築を基調に、ゴシック・リバイバルや新古典主義の要素も取り入れたインド・サラセン様式の影響を受けた建築です
建築当初は約1,500人の礼拝者を収容できる規模でした。その後、1975年に隣接する土地を取得して拡張工事が始まり、さらに2007年から新たな拡張工事が行われ、現在は約1万人を収容できる規模となっています。
② コロンボ国立博物館:1920~40年代と現在
建物の設計を手掛けたのは、公共事業局(Public Works Department)の建築家J. G. Smitherです。
③ コロンボ市庁舎:1940年代と現在
新古典主義建築の影響を強く受けているとされ、外壁は石灰を主原料とするスタッコ(化粧漆喰)で仕上げられています。
彼らは、これをきっかけにコロンボに進出し、パートナーの交代に伴って、Edwards & Booty(エドワーズ&ブーティ)、Edwards, Reid & Booth(エドワーズ・レイド&ブース)、Edwards, Reid & Begg(E.R.&B./エドワーズ・レイド&ベッグ)へと名称を変え、セイロンを代表する建築事務所の一つとして発展しました。
ジェフリー・バワも、1951年にH. H. Reidのもとで見習いを始め、英国で建築を学んだ後、1958年にE.R.&B.のパートナーとなりました。その後、同事務所を拠点に数多くの建築作品を手掛け、スリランカを代表する建築家として活躍しました。
④ ゴールフェイスホテル:1890,1910年代と現在
ホテルの起源は、ゴール・フェイス地区にあった「Galle Face House」と呼ばれる建物にさかのぼります。もともとは植民地時代のヨーロッパ人社会の社交の場として利用されていましたが、その後、4人のイギリス人によってホテルとして発展しました。
長い歴史のなかで、各国の王族や要人、著名人を迎えてきたことでも知られています。日本からも、皇太子時代の裕仁親王(後の昭和天皇)が1921年の欧州訪問の際に宿泊したほか、各国の要人が滞在した歴史あるホテルです。
⑤ ヴィクトリア・メモリアル・ビルディング:1910年代と現在
設計を手掛けたのは、イギリス出身の建築家エドワード・スキナー(Edward Skinner)。建物は、インドの建築伝統の影響を受けた特徴的な建物で、赤レンガの外壁にアーチやドーム、小塔などを組み合わせた特徴的な外観となっています。
コロンボに残る歴史的建造物を訪ねて
さらに、現在も現役で使用されている建物が多いことにも驚かされます。
また、🔗Lankapura.comには、コロンボをはじめスリランカ各地の歴史的な写真が数多く収蔵されています。
観光前にこうした写真でかつての街並みや建物の姿を見ておき、実際に同じ場所に立って、昔のコロンボに思いをはせながら街を歩いてみるのもおすすめです。
当時の写真と同じ構図で写真を撮ってみるのも、歴史を身近に感じられて面白いかもしれません。

.jpg)
.jpg)


.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)

.jpg)

.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)





コメント
コメントを投稿