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バワ建築に ラキの作品あり

スリランカを代表する建築家、ジェフリーバワ(Geoffrey Bawa/1919-2003)。これまでバワの手掛けたホテルなどの建物について多くの投稿をしてきました。

バワは建物の設計だけでなく、照明や家具のデザインを手掛ける一方で、エナデシルバ(Ena De Silva/1922-2015)のバティックや工芸品バーバラサンソーニ(Barbara Sansoni/1928-2022)の織物やカラーコーディネートのアドバイスラキセナナヤケ(Laki Senanayake/1937-2021)の彫刻や絵画など、特定のアーチストともに、設計した建物や空間にあうインテリアも含めた総合プロデューサー的役割も果たしてきました。

ラキセナナヤケの名前は、日本ではバワ関連で名前があがることが多いですが、ラキ自身も建築家であり画家で彫刻家、ガーデンデザイナーでもある唯一無二のアーチストで、1979年に発行された7代目のスリランカ紙幣のデザインや1970年開催の大阪万博 のスリランカパビリオン(セイロン館)のシンボルにもなった「BO※Leaf/菩提樹」も 手掛けました。(※[ボーは「菩提樹」のことを指すシンハラ語)

今回は、ラキの作品が堪能できるバワホテルにスポットを当てて紹介します。

1. ヘリタンスカンダラマ(Heritance Kandalama):鍛金彫刻(1994年)

日本人に一番人気のバワホテル。多くのメディアでも取り上げられるホテルです。

ヘリタンスカンダラマを紹介する写真に必ずといっていいほど使われるのが、バワの私物であったデスクと椅子フクロウのオブジェのあるこの階段のアングル⇩。

このフクロウの鍛金作品を手掛けたのがラキです。ちなみにこのフクロウ、階段を上りきった上にあるレストラン側からみても顔があります(両面に顔がある)。
バワはラキのフクロウの作品が好きで、カンダラマホテルのオブジェの製作にフクロウを依頼したとのことです。
見る角度によってフクロウが飛び立っているように見えたり、降下しているように見えたりとてもユニークな作品です。
↑上記の写真は、2022年6/22~9/18にかけて🔗The Museum of Modern and Contemporary Art Sri Lankaで開催された展覧会「Encounters-Rotation 2」で撮影したもの
上記は、ラキの「カンダラマホテルの平面図(Floor plan of Kandaklama Hotel)1993年」という作品です。ホテルの形状(下記のフロアマップ参照)がフクロウの両翼に見立てられています。167枚のシルクスクリーンをホテルの平面図と周囲の風景に重ねて印刷されています。

2. ジェットウィングライトハウス(Jetwing Lighthouse):鍛金彫刻(1998年)

ヘリタンスカンダラマの次に、バワホテルとして日本人に人気のホテル。こちらのホテルもラキの作品がホテルの顔ともなっています。

車寄せから館内に入ると視線の先にオブジェが目に入ります。
2、3階に続く螺旋階段の手すりにラキの作品がぐるりと取り囲んでいます。
スリランカの海岸地帯を最初に植民地化したポルトガル軍とシンハラ人(スリランカの民族)の戦いが描かれています。

3.ルヌガンガ(Lunuganga):彫刻/絵画/線画/壁画など

ルヌガンガは、バワの週末の別荘で生涯手を加え続けたバワの理想郷と呼ばれる場所です。ここでは複数のラキの作品を見ることが出来ます。

一番大きな作品は、ゲートハウスとつながったトンネルに描かれた壁画です。

古代ヒンズー教の叙事詩『ラーマーヤナ』の戦闘シーンが描かれています。ライトハウスの螺旋階段のモチーフを彷彿しますが、この壁画が描かれたのは1970年代と、ライトハウスの鍛金彫刻の20年以上も前に描かれたものです。

上記の写真は2020年に撮影したものですが、今年見たときには残念ながら腐食が進んでおり、絵はもっと色あせ、はがれおちている箇所も見られました。
メインハウスのリビングには、トロイの木馬と兵士がモチーフの鋳造作品が飾られています。ちなみに後ろの茶色の壁は、バワの部屋(現在のThe Geoffrey Bawa Suite)のベッドの側面に飾られた絵の裏側で、開放窓でもあります。

このトロイの木馬のオブジェの反対側には、ラキのドローイングが飾られています(下記写真)。
このモチーフは、下記で紹介する『🔗Lunuganga(Geoffrey Bawa-著、Christoph Bon&Dominic Sansoni- 写真)の挿絵にも描かれています(下記写真)。
さらにはバワが最後に手掛けたホテルブルーウォーターのレセプションにも用いられています(下記写真)
同じくメインハウスのリビングエリアには、ラキによるフクロウの彫刻作品が置かれています。
ルヌガンガを訪れたバワの友人などのゲスト用の部屋であったMain House Studioには、ラキが描いたものが複数飾られています。
下の絵は、ルヌガンガのサイトプランです。
ちなみにこのサイトプランの絵は、ガーデンツアーの参加者に配布されるリーフレット(下記写真)に園内マップとして掲載されています。
さらにサイトプランに描かれた左下のヒョウの絵は、現在🔗ジェフリーバワ財団のロゴマークになっています(下記)。

ラキが描いたルヌガンガのサイトプランは複数あります。ラキが一番最初にルヌガンガのサイトプランを描いたのは1962年(下記)。その後、約10年ごとにルヌガンガの変遷を記録していったといいます。
↑『Lunuganga(Geoffrey Bawa-著、Christoph Bon&Dominic Sansoni- 写真)』より転載
1990年に出版(初版)された『🔗Lunuganga(Geoffrey Bawa-著、Christoph Bon&Dominic Sansoni- 写真)には、バワの文章にラキの緻密で美しい挿絵が添えられています。
現在この本は絶版ですが、ルヌガンガで閲覧することが出来ます。
↑『🔗Lunuganga(Geoffrey Bawa-著、Christoph Bon&Dominic Sansoni- 写真)』より転載
バワの部屋(現在のThe Geoffrey Bawa Suite)のベッド脇の扉絵もラキが描いたものです。
ラキが描いた鳥の絵(写真下)。金色の下地にスリランカに生息する鳥類が描かれています。
ルヌガンガから数百メートル離れたところにあるNo.5-エナハウス(ルヌガンガとして運営)は、コロンボにあったエナデシルバの住居を移築したものです。
エナの住居の設計はバワが請け負いましたが、下記はラキが描いたエナの住宅の断面図です。
拡大してみると、植栽も丁寧に描かれ、エナのバティックが飾られていたり、棚にはオブジェが置かれていたり、実際の生活の様子を想像しやすい画期的な意匠図となっています。
↑上記写真は2019年9/21~29にエナデシルバ邸で行われたラキ氏の展覧会「The Greedy Forest」で撮影したもの。

↑上記写真は2019年9/21~29にエナデシルバ邸で行われたラキの展覧会「🔗The Greedy Forest」で撮影したラキによるフクロウの鍛金彫刻作品※「スパイ活動のフクロウ(Espionage Owl)2017年」※現在のNo.5にはおかれていません
『🔗70km動いた家 (エナハウス / No.5)』

4.ナンバーイレブン(Number 11):彫刻/シルクスクリーンなど

バワのコロンボの住居であるナンバーイレブンにもラキの作品を見ることが出来ます。玄関ドアのインパクトある太陽が描かれた作品もラキによるものです。

入り口を入って正面にある、バワが飼っていたダルメシアンのベッドの上に飾られたフクロウの彫刻作品もラキによるものです。
2階のゲストルーム(宿泊者のみ入室可能)には、1970年に日本の大阪で開催された[日本万国博覧会(大阪万博)]セイロン館の庭に設置された、ラキが手掛けたブロンズ像『BO  leaf』のミニチュアが置かれています(大阪万博の実物は約12メートルの大きさでアルミニウム製だったとのこと)。
↑上記写真は、🔗Geoffrey Bawa TrustのNumber11のページより転載
↑1970年の大阪万博のセイロン館の写真(撮影者はジェフリーバワ)。上記写真は、2022年2/1~4/30に開催された🔗展覧会『It is Essential to be There』で撮影したもの。
↑2022年2/1~4/30に開催された展覧会『It is Essential to be There』にも置かれていた、BO Treeのミニチュア

5.デサラムハウス(De Saram House):油彩(1975年)

コロンボのデサラムハウスのリビングエリアの中央には、ラキのフクロウの油彩画「黒い背景のフクロウ(Owl on Black Background)」が飾られています。
『🔗ジェフリーバワとデ・サラム家』

6.クラブヴィラ(Club Villa):ドローイング

ベントタにあるクラブヴィラのロビーでは、ラキによる植物のドローイングを見ることが出来ます。
屋根まで伸びた植物は圧巻です。
夜のライトアップもとても美しく映え、本当に樹木の下にいるかのような錯覚を受けます。
ちなみに、クラブヴィラは日本のばんせい証券が運営しており、建築家の隈研吾が改装を手掛けました。このドローイングの下のベンチや座布団は隈研吾氏が手掛けたものです。

7.ターラ ベントタ(Thaala Bentota):ドローイング

同じくベントタにあるターラベントタには、廊下ならびに客室でラキの樹木や鳥類のドローイングを見ることが出来ます。
↑上記のSuperior Roomの写真は、ホテルの公式ページより転載
このホテルは、以前はAVANI Bentotaとして運営されていましたが、全館改装を経て2023年にThaala Bentotaとしてリニューアルオープンしました。現在は客室や廊下に飾られているラキの植物と鳥類のドローイングですが、AVANI Bentotaの時はロビーエリアに飾られていました(下記写真)。
現在のロビー(写真下)

8.シナモンベントタビーチ(Cinnamon Bentota Beach):ブロンズ像(1969年)

このホテルのメインレストラン(Zest and Ottimo)の階段の上には、ラキの孔雀の鍛金彫刻作品があります。
※上記写真はリニューアルオープン前に撮影したもので、家具など現在とは異なります。
🔗ベントタ バワスポット

.ヘリタンスアーユルヴェーダマハゲダラ(Heritance Ayurveda Maha Gedara):石膏レリーフ

ロビーエリアの石膏レリーフもラキによるものです。
ホテルが建てられた当初(ネプチューンホテル/Neptune Hotel)の時には、上記写真の花瓶に白い枝が飾られている場所にラキによる真鍮製のヤシの木の作品があったとの記録がありますが、現在は見当たりません。

10.ヘリタンスアフンガッラ(Heritance Ahungalla):石膏レリーフ/ドローイング(1981年)

ヘリタンスアフンガッラでもラキが手掛けた石膏レリーフを見ることが出来ます。
レセプションエリアの壁にはフェルトペンで描かれた植物(1981年)が、壁一面に描かれています。
以上が、バワ建築でラキが手掛けた大まかな作品です。
「これもおそらくラキが手掛けたんだろうな」と思われるものはもっと多くありますが、ラキの作品に関する年代や作品に関する記述は少なくわかりません。

この記事で紹介した作品だけみても、ラキがいかに才能にあふれた人であったのかを知ることが出来ます。
水泳やっていたラキは10代の頃(1955年頃)にコロンボのスイミングクラブ(Otter Aquatic Club)の飛び込み台もラキが設計しています(下記写真)。
これだけ才能にあふれた方なのに、現在手に入るラキに関する書籍はわずかしかありません。その多才さゆえに、識者たちの目には単なるエンターテイナーとして片付けられ、2009年に出版された20世紀のスリランカ美術について書かれた「Sri Lankan painting in the 20th century(Senake Bandaranayake, Albert Dharmasiri著)」ではラキについて一切触れられていないといいます。

現在、ラキについて書かれた本の一つが、🔗[ARTRA MAGAZINE OCT/NOV 2022 E64]です。58ページからなるこの雑誌には、ラキのバイオグラフィーと作品52点が掲載されています。
下記の🔗[The Architecture of an Island](初版 1998年)は、ラキの作品集ではありませんが、ラキがスリランカの建築物に関する調査と挿絵に携わっている書籍です。建築家であり建築史家のロナルドルーコック (Ronald Lewcock/1922-2022)と、バーバラサンソーニ(Barbara Sansoni/1928-2022)らと共にスリランカ各地を訪れて伝統的な建築を絵や記録に残したものがまとめられた本です。300ページ以上にわたるこの本には、95の建築物の詳細や写真と共に、バーバラとラキの緻密な描画が添えられ、建物の構造がより分かりやすくなっています。今日ではもう存在しない建物も記録された、スリランカの建築史においてもとても貴重な本となっています(現在もBarefootのブックショップで購入可能です)。
下記は、2014年にジェフリーバワ財団から出版された書籍ですが、現在は絶版となっています(再販を切に願っています)。
↑🔗Laki: The life and work of the artist Laki Senanayake(Ronald Lewcock著)
建築家で🔗森林・環境建築研究所の代表取締役でもある落合俊哉さんは、2020年にテーマの中でラキにも触れた書籍も出版しています。

↑🔗「すべては森から」 落合俊也 (著), 建築思潮研究所 (編集)
ラキ自身が設計からすべて手掛けたホテルは、C Beyond Nilaveli 、庭園設計を請け負ったSigiriya Village Hitel※、Barberyn Beach Ayurveda Resortなどがありますが、ラキの作品やラキの創作の源といえばDiyabubula
※Sigiriya Villageは、1977年はべヴィスバワ(バワの兄)がメインでラキは制作に協力、1990年の拡張部分はラキがメイン。

ラキは1972年にダンブッラの兄の所有の土地で、兄と農業ビジネスとして唐辛子と大豆の生産を始めましたが、市場は低迷し事業として見込みがないと中止しました。1975年にラキは兄からその土地を買い取った後に、小川を堰き止めて流れの緩やかな大きな池を造り、その周りにこの地域に自生する乾燥地帯の樹木を育て始めました。やがてそこは多くの鳥類や生き物が生息する豊かな森となり、ラキの多くの作品を生み出した舞台となりました。1987年には住居も完成し、ラキはこの場所をディヤブブラ(Diyabubula※シンハラ語で「湧き出る水」)と名付けました。
バワの理想郷がルヌガンガならば、ラキの理想郷がディヤブブラでしょう。
後に、2014年にラキはアーユルヴェーダリゾートBarberyn(バーべリン)のオーナーの依頼でディヤブブラの近接地に、ブティックホテルArt & Jungle Hideawayの設計を手掛けました。現在はラキの居住空間も含めて🔗Diyabubula, the Barberyn Art & Jungle Hideawayとして運営されています。

上記写真2枚は🔗Diyabubula Jungle & Art Hideaway公式ページより転載

【ラキとフクロウ】

ラキの絵画や彫刻作品のモチーフで多く見られるのがフクウロウ

フクロウは、日本では[福]を呼ぶとして幸運の象徴であったり、ギリシャ神話の女神アテナ(ミネルワ)が従えていた鳥 で[知恵] のシンボルともいわれますが、スリランカの伝承では、フクロウは「死や悲劇を予兆する鳥」といわれています。 鳴き声は女性の悲鳴に似ていて不気味であると「悪魔の鳥(デビルバード)」とも呼ばれてます。

ラキはコロンボで生まれましたが、5歳の時に政治活動をしていた父が投獄され、母と兄弟とともに南西部のマダンペ(Madampe)に移り住み10代まで暮らしていました。

幼いラキは夜になると聞こえるフクロウの鳴き声に怖がっていたといいます(巨大なフクロウが屋外のトイレを見張っている夢までみたとも)が、ある日フクロウを間近で見て以来、フクロウに夢中になったとのこと。

絵画においても、写実的であったり抽象的であったり、水彩画、油絵、ドローイングなど様々なフクロウを描いています。

彫刻も同じ人の手によるものとは思えないほど、様々な姿かたちのフクロウを製作していています。

以下の写真は私がこれまで見つけたラキのフクロウ像ですが、調べてみるともっと様々なフクロウの像があり、フクロウだけ見てもラキの多彩な才能を知ることが出来ます。




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